酬恩庵 一休寺(禅寺探訪1)(11/1)
「清風 万里の秋」
(酬恩庵 総門)
少し遠出をして、酬恩庵(京田辺市)を訪ねてきました。
「酬恩(しゅうおん)」とあるのは、
もと大応国師(1235-1308)が建てた寺、
妙勝寺が荒廃していたのを、一休禅師が再興し、
師大応の「恩に酬(むく)いる」意味で命名されたものです。
(酬恩庵 総門前石柱)
ちなみに大応とは、
中国にわたり虚堂智愚(1185-1269)の法を嗣いだ、
日本臨済宗の初祖にあたる高僧です。
臨済宗の法系はその後、
大燈(大徳寺開山)、関山(妙心寺開山)と続きます。
一休禅師は大応から六代の法孫にあたります。
それで「酬恩」としているわけです。
一休は後半生を酬恩庵で過ごし、そこで示寂されました。
それで墓所も境内にあります。
(一休寺と通称されている所以です。)
(酬恩庵 墓所扉)
墓所に菊の紋が見るのは、
禅師が後小松天皇の皇子であったからで、
現在は宮内庁が管理しています。
酬恩庵のたたずまいは、
「庵」の名のとおり、伽藍全体の結構が、
比較的こぢんまりと仕上がっており、
庭の手入れも申し分なく、周りの風景ともよくとけ込んでいて、
心を和ませてくれます。
(酬恩庵 本堂への参道)
時代を感じさせる茅葺の屋根、鐘楼、
さらに狩野探幽の筆による方丈の襖絵、
方丈周りの枯山水の庭など、どれも見事なものでした。