K先生の思い出(11/15)
一休さんというと、いつも私はK先生のことを思いだす。
K先生は、
わたしが以前勤務していた大学の、私よりはかなり年上の教授で、
専門は五山文学。それで禅にも造詣が深く、ご著書も数多くある。
先生は柔和な方で、
われわれや学生たちに対して、優しく接せられた。
一休禅師の漢文体のテキストを使われたときには、
食いつきの悪い学生たちのために、
テレビアニメ「一休さん」のオープニング・テーマ曲
「とんちんかんちん一休さん」の
「すきすきすきすき すき すき あいしてる ♪♪♪」を歌って、
授業をはじめられたようだ。(涙ぐましい努力とでも言うべきか。)
けれども、そういったところは、
先生の一面にすぎなかったような気がしている。
ある時、わたしが先生に、「先生はなぜ禅に関心があるのですか」と訊ねると、
先生は、「僕は死が怖いのだ」と。
つまり、そのかぎり、先生にとって禅は、
死の恐怖を克服するためのものであったようだ。
この応えを聞いたとき、わたしは意外な気がした。
というのは、先生は戦時中に特攻隊員だったのであり、
しかも志願して入隊されたと聞いていたから、
死など恐れられない方だとばかり思っていたのである。
そのギャップについて、生前、先生から話を聞く機会はなかった。
そのことについて、いま、わたしはこう推測している。
先生を特攻隊へと志願させたものは、
当時の制御不能となった国家的狂妄、
そして、その渦に巻き込まれざるを得なかった青年の一時的衝迫、
そういうものではなかったかと。
先生は一度、長岡禅塾にも来られたことがある。
先師浅井老師が、著書を通じて先生の名前を知っておられ、
わたしの仲介で食事に招待されたのである。
その時の先生は、随分緊張されているように見えた。
その時の会話の内容はもうほとんど覚えていないのだが、
話の途中で、「決着をつけたい」と言われた先生の一言が、
いまも耳底に残っている。
何に対して「決着をつけたい」とおっしゃったのか、
今は思いだせないのだが、恐らく「死」の問題に対して
ではなかったかと思う。
奥様から訃報が届いたのは、昨年の12月。
それによれば、入院もされず老衰で静かに旅立たれたとあった。
そして最後に、「たぶん道元禅師の膝下にて坐禅をしていることでしょう」
と優しく書かれていた。
道元いわく、
「この生死はすなわち仏の御いのちなり。(中略)
心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。」
果して、K先生はお亡くなりになる前に、
あの一大事について決着されていただろうか。
――決着されていた、と思いたいのである。