南宗寺(禅寺探訪3)(2/28)
南宗寺(なんしゅうじ)は、
昔から貿易・商業都市として栄えた堺の街中にある、
臨済宗大徳寺派の禅寺である。
その寺は大林宗套(だいりん・そうとう、1480-1568)を開山として
1557(弘治3)年に創建されたが、
大坂夏の陣などによって焼失。
その後、1619(元和5)年、
南宗寺第12世沢庵宗彭(たくあん・そうほう、1573-1646)によって、
現在の地に再建された。
南宗寺甘露門(山門)
伽藍は甘露門(山門)、仏殿、禅堂、方丈、客殿などから成り、
1870(明治3)年に禅堂・鐘楼が建立されるとともに、
我が国最初の(と言われている)専門道場がそこに開かれた。
南宗寺禅堂
南宗寺はまた茶人千利休に縁の寺でもある。
利休は堺の商家の生れで、
若い頃から、同じ堺の出である武野紹鷗(たけの・じょうおう、1502-1555)に師事して茶の湯を習い、
師とともに大林宗套に参禅して、わび茶を完成させた。
南宗寺方丈
南宗寺には利休好みの茶室「実相庵」があり、
その傍らには遺愛の手水鉢・井戸も残されている。
南宗寺実相庵
南宗寺大安寺いとたふとかり これらの寺のあかつきの門
これは『みだれ髪』で有名な、堺出身の歌人与謝野晶子の歌である。
大安寺というのは臨済宗東福寺派の寺で
南宗寺から500メートルほど離れた同じ道沿いにある。
街を歩いてみて分かったのだが、
そのあたりには各宗派のお寺が林立していて
いわゆる寺町をなしており(現在、寺地町の地名が残る)
南宗寺はその南端に位置している。
晶子の生家は、羊羹(夜の梅)が評判の和菓子商・駿河屋を営んでいた。
茶の湯の盛んだった堺では、この羊羹が茶菓として珍重されたことであろう。
茶会については、晶子も、「私など少し大きくなりましてからは、
折々(南宗寺で開かれた)お茶の会に行ったりしました」
と語っている。(『私の生い立ち』)
私の今回の堺街歩きは、
南宗寺→千利休屋敷跡→与謝野晶子生家跡であった。
利休の屋敷跡と晶子の生家跡とは目と鼻の先にあり、
近くに二人を顕彰する「さかい利晶の杜」の館もある。
昼食には、その館のすぐ近く「ちく満(ま)」(元禄8年創業)の「せいろ蕎麦」を
いただいた。寒い冬の日には、体も温めてくれる美味な一品であった。