沢庵の話(3/7)
沢庵、すなわち沢庵宗彭(たくあん・そうほう)禅師は、
堺の南宗寺第12世で、南宗寺中興の祖といってもよい大和尚であった。
主な事跡の一つとして、
徳川三代将軍家光の剣術指南役をつとめた柳生宗矩(むねのり)に、
禅の立場から武術の極意を授けたことがよく知られていよう。
(その記録『不動智神妙録』が今に残っている。)
けれども、私たちにとって馴染のあることと言えば、
何と言っても、大根の糠塩漬け、あの<沢庵漬け>ではないだろうか。
(この漬物のことを、私は「たくあん」でなく、「たくわん」と
言い習わしてきた気がする。)
沢庵漬けの由来は、
禅師が郷里但馬にいた時に、
大量の大根が手に入ったが一度に食べきれない。
それで、塩漬けにしておき、あとで取り出してみると、
たいそう美味かった。
それが評判となって、沢庵漬けと呼ばれるようになったとか。
また、これを飯の湯漬けとともに
将軍家光に差し出したところ、
空腹で腹を鳴らしていた将軍が
舌鼓を打って美味い、美味いと食べはじめ、
以後、珍重され軍用としても活用されたとか。
(詳しくは禅文化研究所『沢庵禅師逸話選』を参照されたし)。
沢庵漬けは、現在では一般の家庭でも広く愛好されているが、
禅の道場では、特に必需品となっている。
そこでは、食後、各自がめいめいの食器を
茶湯と沢庵漬けとで洗い(洗鉢という)、
きれいにすることになっているからでもある。
だから、今ではどこの僧堂でも大根を漬けている。
禅塾でも昔はそうしていたが、今は塾生も少なくなって、
大樽と重石だけが小屋の中に仕舞い込まれ、
再び活用される日を待っている。
長岡禅塾の大樽と重石
さて、沢庵にまつわるこの話、
飽食時代に生きる私たちに、次のようなことを教えてくれる。
第一に、余ったものは棄てるのではなく、工夫をしてうまく使ってゆく。
第二に、贅沢はできるだけ避けて、質素な生活を心がける。
日々このような生活を心がけたいものである。