筍の“造り”(4/18)
「金翅鳥(こんじちょう)龍孫を食む」
(筍(タケノコ)の造り)
筍の“造り”なるものを
長岡京に来て初めていただいた。
これは、ちょっと表面の土を持ち上げた程度で、
まだ全体は土中にある筍を朝堀し、
すぐに皮をむいて糠を少し入れた熱湯でゆがいた後、
すぐに冷水に浸して熱をとり、
それを薄切りにして、ワサビ醤油でいただくのである。
市販されている筍は堅くアクもある。
普通筍といえば、そういうものだと思われている。
私も長い間そうとばかり思っていた。
ところが禅塾で筍をいただいてびっくりした。
それには歯にはさかうような堅さも、アクもない。
私のように多少お酒を嗜むものにとっては
絶好の当てになる珍品なのである。
「願はくは 花の下にて 春死なむ」
(禅塾横の池の桜)
ここに、長岡京の筍を愛でた漢詩を紹介しておこう。
乙訓龍孫名誉貴 乙訓の龍孫 名誉貴(たか)し
(長岡京のある乙訓地方の筍は有名である)
解繃截角工享沸 繃(ほう)を解き 角を截り 工享(こうきょう)沸く
(皮をむき角を切って、もてなしにわく) *湯がわくに掛ける
始知食笋若聞韶 始めて知る 笋(じゅん)を食すこと 韶を聞くが若(ごと)くなることを
(筍を食することが、韶の音楽を聞くようであることを始めて知った)
三月寒厨忘肉味 三月 寒厨 肉の味を忘る
(三月の寒い厨房で、肉の味も忘れるほどであった)
*第三句、四句は『論語』述而篇十三を踏まえる。
これは高名な中国文学者の鈴木豹軒(1878-1963、
京大名誉教授、1961年に文化勲章受章)が禅塾を訪れ、
筍料理の供応を受けた時に作った詩である。
(半頭大雅『無相の風光』を参照)
なお、4/11の日記で、長岡京の筍の有名なことに触れたが、
14日の朝日新聞の「俳壇」欄で、たまたま次の句をみつけた。
山城(やましろの)国(くに)乙訓(おとくに)の春(しゅん)筍(じゅん)とよ(彦根市)阿知波裕子
「とよ」は、「ということだよ」の意。
珍品を手にした作者の喜びが、この句からは伝わってきそうだ。
「ウグイスの初音きく 新緑の蔭」
(禅堂中庭の新緑)