牡丹(ぼたん)(5/2)

 

禅塾の牡丹園

 

禅塾にちょっとした牡丹園がある。

禅会会員の赤川さんが世話をしてくれている。

その牡丹がちょうど一週間ほど前に満開をむかえた。

 

「牡丹は花の富貴なる者也」(周茂叔)

 

この言葉の通り、牡丹花は富麗にして高貴である。

わたしの印象では、この花は女性でなければならない。

しかも母性豊かな女性でなくてはならない。

 

禅塾 紫紅色の牡丹

 

あの鈴木大拙が無類の牡丹好きであったという。

「濃い紫紅色大輪の牡丹」がとくにお気に入りであった。

枯淡を生きた大拙が

富貴を連想させる牡丹花を愛でたと言うことは、

少し分かりにくいのであるが、

翁は牡丹の深紅に「大地のいのち」を感じ取っていたと言われる。

だとすれば、

大拙もやはりその花に母性を感じ取っていたことになるだろう。

昔から大地は「母なる大地」として崇められてきたからである。

(岡村美穂子・上田閑照『大拙の風景』燈影舎を参照)

 

禅塾 深紅色の牡丹

 

牡丹はもと中国産で、

彼の地では昔から多くの人に愛されてきた。

その花が観賞用としてもてはやされ出したのは

唐の時代になってからのこと。

白楽天は

「花開き花落つ二十日、一城の人、皆な狂えるが若(ごと)し」と、

その流行ぶりを伝えている(「牡丹芳」)。

 

やがてその花が、奈良時代から平安時代にかけて、

日本に渡来するのであるが、十世紀末になると、

『蜻蛉(かげろう)日記』や『枕草子』に登場するそうだ。

 

江戸時代の与謝蕪村には、牡丹を詠んだ名句が多い。

(飯倉照平『中国の花』集英社)。

 

詩人萩原朔太郎はその中から次の三首を拾っている。

 

地車のとどろと響く牡丹かな

閻王の口や牡丹を吐んとす

広庭の牡丹や天の一方に (『郷愁の詩人 与謝蕪村』岩波書店)

 

私は昔教科書で習った次の歌が、

作者木下利玄の名前とともに忘れがたい。

 

牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

 

利玄にはこのほかにも牡丹を詠った短歌が

二十首ばかり残されている。

 

霧島つつじ(長岡天満宮)