朋あり、遠方より来たる(5/27)

 

禅塾庭の芍薬

 

この22日に、

ジョン君から突然、長岡禅塾に電話がかかってきた。

いま京都にきているというので、

24日に四条河原町の高島屋で会い、

そこで昼食をとりながら、近況を語り合った。

 

聞いてみると、台湾で学会があって、

ついでに日本に寄ってみたのだと言う。

彼の生やしている顎の鬚が真っ白になっていて、

お互いに随分と齢がいったものだと思った。

 

ジョン君と知り合いになって、

かれこれ45年ほどになる。

私が京大の大学院にいたころ、

彼はオーストラリアからの留学生として

やはり京大に来ており、

その時、指導教官だった武内義範先生に頼まれて、

私がジョン君のチューター役を引き受けることになったのである。

 

それで2年間ほど、毎週1回、

彼の希望で鈴木大拙の禅に関する本を一緒に読んだ。

場所は今はもうなくなっているが、

四条河原町近くの、人のあまり来ない、

長時間ねばれる喫茶店だった。

 

そのうちに、

彼が私の住んでいた家にも

遊びにくるようになったりして、

やがて家族ぐるみの付き合いがはじまり、

今日にいたっている。

 

禅塾庭の梅花ウツギ

 

ジョン君は京大での研究を終え帰国してから、

禅学研究にいっそう勤しみ、

オーストラリア国立大学(Australian National University)から

アジア研究の部門で博士号を取得した。

 

その後、20年間、母国のグリフィス大学で、

日本文化などの授業を担当していたが、

そこを停年退職して、

今はオーストラリア国立大学で禅学の非常勤講師をしているようだ。

 

以前、彼から六祖慧能(禅宗の事実上の初祖)に関する英文約850頁の研究書

(“Inventing Hui-neng, the Sixth Patriarch”,2005.)を贈呈してもらったが、

今回はハングルで書かれた『禅家亀鑑』を英訳した書

(“A Handbook of Korean Zen Practice”,2015.)をもらった。

彼は日本語のみならず中国語・韓国語にも堪能で、

大学を退いてからも禅に関する多くの仕事をかかえていると話してくれた。

 

* The quotation from the author’s acknowledgements of “Inventing Hui-neng,

the Sixth Patriarch” :“Prof. Kitano Hiroyuki, then a doctoral student, assisted

me in learning the academic Japanese required for reading works on Ch’an/Zen.”

 

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