メキシコ禅事情(6/27)

 

百合(禅塾お花畑)

 

禅が世界の禅になったと言っても、

聞こえてくるのは、

欧米のごく一部の国での禅事情についてであって、

その他の地域でどのようになっているのか、

わたしにはよく分らない。

 

メキシコという国についても同様であるので、

今回、マルコス君にそのことについて尋ねてみた。

以下は、マルコス君の回答に、

わたしが少し補足したメキシコにおける禅事情の紹介である。

鉄線花(禅塾お花畑)

 

禅は60年代にメキシコに伝わった。

山田無文の弟子である高田慧穣師(注1)が、

メキシコシティに禅堂を建てたのが始まりである。

高田師は8年間ほどメキシコに滞在して、

強い感化をその地におよぼした。

 

その中に、著名人もいて、

メキシコ人映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーや、

そのころメキシコ大学にいた

ドイツ人精神分析学者のエーリッヒ・フロム(注2)が含まれている。

 

その後、世界の各国から、

次々と指導者がメキシコを訪れ、

(的真塾 京都国際禅堂の宝積玄承老師もその一人である)

禅は徐々にその国に拡がってゆくことになったのである。

 

現在、メキシコシティには10ほどの団体があり、

それぞれ20~30人の参加者を擁している。

その他の都市にも小規模のグループが1、2見受けられる。

 

メキシコでも生活様式の急激な変化にともなって、

人の心も不安定となり、

次第に禅への関心が高まってきているようだが、

修行を続けてやろうとする人は少ないようである。

 

マルコス君自身は、現在、

ヨーロッパで活躍した弟子丸泰仙(注3.)の弟子の下で修行した

メキシコ人僧侶の道場に週に3回通っている。

1年に2回の接心があり、40人ほどが参加する盛況ぶりである。

 

*注(1)高田慧穣師(1928-1996)について。

花園大学卒、神戸の祥福僧堂に掛搭し、山田無文老師の下で修行。

後、メキシコにわたり、原住民のなかに入って生活を共にする。

平野宗浄「メキシコの故高田慧穣師」(『禅文化』169号、所収)を参照。

中)アレハンドロ・ホドロフスキー、右)高田慧穣(1976年)

 

*注(2)メキシコのエーリッヒ・フロムについて。

1957年、メキシコで禅仏教と精神分析学に関する研究会議が開かれ、

そこで鈴木大拙がフロムらを前にして禅について講演をしている。

その記録は邦訳『禅と精神分析』(1960年、東京創元社)として出版されている。

また、『鈴木大拙写真集 相貌と風貌』(2005年、禅文化研究所)の55頁には、

1957年に撮られた、メキシコのフロム宅での、大拙とフロムが一緒に並んだ写真が載っている。

エーリッヒ・フロム

 

*注(3)弟子丸泰仙(でしまる・たいせん、1914-1982)について。

曹洞宗の僧侶。1967年、禅布教のため、単身無一物でフランスに向けて出発。

大いに当地の人心をつかむ。その記録は『禅僧ひとりヨーロッパを行く』(1971年、春秋社)にまとめられている。

弟子丸泰仙