精霊が呼ぶ? ―『峨翁老師遺薫』との出会い(8/15)
京都五山の送り火のポスター
明日(8月16日)は「京都五山の送り火」の日ですね。
私が建仁寺で修行していたときは、
この日は夕方から放参(坐禅・参禅が休みの事)で、
雲水たちは思い思いに京の街にくりだし、
そこから山の火を眺めながら、束の間の休息を楽しんだものでした。
さて、この間、何日かぶりで京都の街に出る機会があったので、
例の如く寺町通りにある其中堂に立ち寄ってみた。
其中堂
以前に買っておいた『仙厓の書画』(鈴木大拙著)を読んで、
仙厓義梵禅師(1750-1837)について、もっと知りたくなり、
禅師に関する適当な本があれば、それを購入するつもりだった。
だが書棚をひと通り見て回ったが、
お目当ての本は、あいにく一冊も見つからなかった。
それでも書棚には、他に私の興味を引く本が何冊かあり、
その中で『峨翁老師遺薫』と題した古びた本が目に止まった。
書名から私は迂闊にも、
それが天龍寺の峨山昌禎和尚の遺稿集だろうと早とちりしてしまった。
そこで、「買うか、買うまいか」、私の思案がはじまった。
峨山和尚(1853-1900)の本なら『峨山側面集』が禅塾の書庫にあって、
すでに読み終えていた。ならば、買う必要はあるまい。
いやいや題名が異なるのであるから、
また違った内容のものに相違ない。ならば、買ってみようか。
書店の店主の眼を気にしながら、
本を書棚から出したり入れたりすること数回。
ついに買うことに決した。
ところが、である。
禅塾に帰って「峨翁」のことを調べてみると、
それは関精拙老師(1878-1945)の
晩年の室号であることがわかり、
峨山和尚のことでないことが判明したのである。
実は関精拙老師の遺稿集のようなものがあれば、
是非一度読んでみたいと思い、
これまで心当たりのありそうな何人かの人に、
そのことを尋ねてみたのであったが、
結局、分からずじまいになっていた。
思わぬ仕方で、捜していた本が手に入り、
もしかして精拙老師の霊が私を呼んでいたのでは(?)、と不思議な気がした。
ところで、私がなぜ関精拙老師に興味をもったかと言えば、
先師浅井義宣老師が提唱の折りに
ときどき精拙老師の面白い話をされていたからである。
さらに言えば、法系上からも天龍寺の滴水宜牧(1822-1899)の下,
関精拙老師と長岡禅塾とは浅からぬ因縁で結ばれている。
関精拙老師(左)と梅谷香洲老師(右)
例えば、禅塾第一世梅谷香洲老師(1885-1950)の遺稿集『傳芳夜話』には、
香洲老師と精拙老師の並んだ写真が掲載されているし、
他方、『峨翁老師遺薫』には
香洲老師による追悼偈「哭峨翁老師兄」が収録されている。
そういうわけで、
二人が昵懇の間柄であったことが判るのである。
次回に『峨翁老師遺薫』(編輯:山田無文、発行所:大本山 天龍寺、昭和32年発行)から、
精拙老師の面白い話を紹介してみましよう。
大賀ハス(大谷本廟)