峨翁老師遺薫を聞く(8/22)

 

晩年の峨翁老師

 

『峨翁老師遺薫』から幾つかの話を紹介してみたい。

 

(峨翁老師とは関精拙老師のことであることは前に述べておいた。

以下の文章は、要点を示すことに重きをおいているので、

「」内を除き、必ずしも原文通りではないことをお断りしておく。)

 

 

○ 峨翁老師はいつも洗面した後の水を洗面器に残しておかれた。

ある時、そばで仕えている僧に、

「お前、わしの朝の洗面器の水はどうしておるかな」と問われた。

毎回、それを面倒くさそうにブチあけていた僧は、

「ハイ」と頭をかくより仕方がなかった。

老師いわく、「あれはお前が雑巾がけをする時に使うように、

あゝして残してあるのじゃ。殺生してはいけんなぁ。ものは活かして使えよ」と。

 

*老師は水を大切にせねばならないことを繰返し人に注意されていた。

老師はこのことを師匠の龍淵老師から、龍淵老師はまたその師である滴水禅師から教えられたのであった。

「天龍の一滴水」として、私たちも肝に銘ずべき話である。(「大雲好日日記」41を参照)

大雲好日日記41「物を先に、人を後に」

 

 

○ ある人が夏末大接心の時に、老師の住まいを尋ねるも姿が見えない。

すると、押入れの中から、

「こヽに昼寝して居る」と、老師の声がした。

「お暑いでしょうに」と申し上げると、

「お前、皆が堂内で無!無!と一生懸命に坐っているのに、

俺が涼しい所で昼寝できるか」と。

 

*実に有難い話である。森本省念老師も学生たちが夜坐をしていた時間帯は、

「学生はん達が坐禅してはる間、こちらもおちおち寝ておれまへんで」と言って、

夜遅くまで本を読んでおられたと聞いている。

 

鬼図(峨翁・画)

 

○ 老師はたいそう酒を好まれた。

ある時、いつもの料理屋で一杯召し上がった後、

「さあさあ恋人の所へ帰るか」といって、立ち上がられた。

女将びっくりして、「恋人って誰ですか」と詰問。

老師、笑って「お文さんサ」。

女将、「お文さん、ヘエ―、女の人!」

老師、「うん、無文という別嬪がのう、

わしの帰るまでは、いつまでも坐禅して待っとるんじゃ」。

 

*「お文さん」「無文という別嬪」とあるのは、

後に峨翁老師の法嗣となる山田無文老師のことである。

この話は浅井義宣老師から初めて聞かされて以来、強く私の心に残っている。

侍者として上の人に仕える者は、無文老師のようであらねばならない。

ついでながら、『峨翁老師遺薫』の編者は無文老師である。

 

 

○ 老師がある女性の信者さん、それからその母親の三人連れで、

鞍馬山に遊山に出かけられたときのこと、

茶屋で食事をしていると、

変った一行と見たひとりの客が、

「お見受けしたところ、お寺さんのようですが、

お西ですか、お東ですか」と問うた。

老師、即座に、「わしは南じゃ」と。

 

*こういう当意即妙の様を、禅語で「転轆轆地(てんろくろくじ)」という。

何ものにもとらわれない自由性・自在性こそは禅の生命である。

 

 

○ わが国の経済界が不景気のどん底にあり、

その時、悪戦苦闘していたある人に与えた老師の処世訓を最後に挙げておこう。

 

我を忘るヽものは我を知る

我を知る時は我に勝つ

我に勝ちて天下に敵無し

世に処するの道別なし

我に処するのみ

 

*峨翁(精拙)老師の話は『禅に親しむ』第4話でも拾っておいた。

『禅に親しむ』(北野大雲著、禅文化研究所刊)

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