岩井勝次郎翁と森本省念老師- 橋本独山和尚の法孫 (10/17)

 

岩井勝次郎翁(長岡禅塾の創設者、1863-1935)

 

森本省念老師(長岡禅塾第二世、1889-1983)

この二人の間に、

生前、直接の交渉はなかったと考えられる。

 

と言うのも、

森本老師が禅塾の塾長に就任されたのは1950年で、

その時、勝次郎翁はすでに他界していたからである。

しかし、二人は全く無関係であったわけではない。

橋本独山和尚を介して二人は、不思議な因縁の糸で結ばれていたのである。

 

まず勝次郎翁と省念老師とはともに、

最初は独山について禅の修行を行っていたのである。

この点だけを見れば、

二人は法の上で独山を父とする兄弟弟子ということになる。

 

つぎに二人とも事情があってやがて独山を離れ、

その後、勝次郎翁は独山の弟子梅谷香洲に、

また省念老師も独山の弟子である山崎大耕老師について、

禅の蘊奥を究めて行くのであった。

 

そこからすると、

法の上で、

独山和尚は二人の祖父、

二人は独山和尚の法孫にあたることになる。

 

世界は意外と狭いもので、

勝次郎翁と省念老師の間にも

いま述べたような法系上の関係が見られるのである。

 

さて、

橋本独山和尚とはどのような人であったのか。

和尚の出家の動機について、

次のような話が伝わっている。

 

豊かな画才に恵まれた独山は、

若い頃、

書画で一家をなそうと考えて

富岡鉄斎の門をたたいた。

 

ある時、山水を描いていると、

ひとりの老僧が傍に寄ってきて、

「お前は画を描いておるが、その画を描かせている“そのもの”は何じゃ?」

と、問いかけてきた。

 

一見、手や心が“そのもの”であるように思われるかもしれないが、

よく考えてみると、そうではない。

手や心も“そのもの”によって働かされている、

いわば使用人にすぎない。

 

実はここで問われている“そのもの”こそが

本当の自分なのである。

だから老僧は画を描いている独山に、

画を描かしめている本当の自分の正体を問うたのであった。

 

老僧によってこの問いに逢着した独山は、

そのことが気になりはじめ、

ついに鉄斎のもとを去り、

剃髪して天龍寺の峨山昌禎のもとに下ったのであった。

 

禅修行とは己事究明、

すなわち真実の自己を明らめる道であることを知ったからである。

 

本当の自己とは何か。

勝次郎翁も省念老師も独山会下において、

その大問題を明らめようとしたのであった。

 

*橋本独山については『明治の禅匠』(禅文化研究所)を参照。

隠寮の秋