桃の夭夭(ようよう)たる(令和2年3月18日)

 

3月3日は「雛祭り」、別名「桃の節句」とも呼ぶ。

3月11日は「東日本大震災」の日、今年で9年となるが、

暦(七十二候)の上では、この日から

「蟄虫戸を啓く」から「桃始めて笑う(=咲く)」に変わる。

 

桃の花で思い出すのは、

2008年に東北大学(中国・瀋陽)で4月から7月まで

教壇に立って過ごした当時のことである。

 

東北大学で日本語を教えている先生たちと(瀋陽、2008年)

 

4月下旬ころになると、

大学構内のあちこちで白やピンクの桃の花が咲き始め、

一度にキャンパスが華やいだ春の雰囲気につつまれた。

その時、中国では桃の花が春を代表する花であることを実感した。

 

桃の花のことでもう一つ思い出すことがある。

それは1997年1月下旬のことである。

 

私はそのころ、勤務していた大学で学部長の要職にあり、

中国で夏期研修を希望する、わが校の学生たちを受け入れてもらうために、

当時同僚であった孫久富教授(日本上代文学、文学博士、現在は東北師範大学)

とともに北京外国語大学に赴いた。

 

その折り、私たちを歓迎するための宴席が用意された。

料理はもちろん中華料理であったのだが、

その中でも格別なもので、昔、皇帝たちが食したという宮廷料理が供された。

食べたことのある人ならご存じだと思うが、

まあ普通は口にしないような食材がつぎつぎに出てきてびっくりした。

 

その食事の途中、桃をかたどった菓子が出てきたのである。

(中国では桃は縁起のいいものとされている)。

その時、私の口からとっさに「桃の夭夭たる」という言葉が突いて出た。

(「夭夭」は「若々しく美しいさま」)。

しかし、その後の言葉が出てこなくて少し言い淀んでしまった。

 

すると、隣にいた孫教授がすぐに、

私が中国最古の詩歌集である『詩経』の一節を口にしたのだと、

テーブルを囲んでいた他の北京外大の先生方に通訳してくれ、

あらためてその歌全体を中国語で朗々と詠ってくれた。

 

それで私はすっかり中国通の人間とみなされてしまったようで、

その後、その場の雰囲気が急に打ち解けたものとなり、

おかげで研修受け入れの交渉がスムーズにいったのは幸いであった。

 

桃の花

 

ここで「桃の夭夭たる」の詩全体を紹介しておこう。

 

桃の夭夭たる(桃之夭夭)

灼灼(しゃくしゃく)たる其の華(灼灼其華)

之(こ)の子 于(ゆ)き帰(とつ)ぐ(之子于歸)

其の室家(しっか)に宜(よろ)しからん(宜其室家)

 

日うらうら

若木の桃に花咲く

この子とつぐ

よき妻とならむ(海音寺潮五郎訳)

 

これから嫁いでいこうとする娘を寿ぐ内容となっている。

ところで、なぜ私が『詩経』の「桃夭」と題されたこの詩を知っていたか。

その種明かしをすれば、それが『禅林句集』の中に採取されていたからである。

禅を学ぶものの余得と言うべきか。