「景観は一日にして成らず」(令和2年8月19日)

 

長岡禅塾周辺の池

 

寺田寅彦の文章を読んでいたら、

こんなことが書いてありました。

 

「日中の暑い盛りにはやはり暑いには相違ない。

しかし何か興味のある仕事に没頭することができれば、

暑さを忘れてしまうことは容易である。」

そして寅彦自身が実践した二三の例が挙げられていました。(『科学歳時記』)

 

寅彦の文章を引きましたのは、

先週この日記に書いた「ざれうた」が私にとって、

正にそのような「仕事」(ならぬ「遊び」)であったからです。

 

心頭滅却すれば火もまた涼し

 

という禅語はそういうことをいうのです。

 

閑話休題。

 

先日、京都大学で都市景観を専攻している大学院生の訪問をうけました。

その学生はいま、「西国風致地区における風致の形成・管理の実態

ーー長岡天満宮・禅塾に着目して」というテーマで研究していて、

そんなことから禅塾の見学にやってきたのでした。

 

その時に長岡禅塾の創建当時の古い資料も見せてもらいました。

そこであらためて分かったことは、禅塾が現在のような形に仕上がるまでに、

景観に配慮していろいろの苦心がなされてきたということでした。

 

長岡京市に全国に誇れる場所があります。

その一つが長岡禅塾、長岡天満宮、八条が池を含む一帯です。

この場所は平成25年度に他の二カ所とともに

国土交通省が選定する「都市景観大賞」を受賞しました。

 

(ちなみに大賞を受けた他の二カ所は、

下関市の城下町長府地区と熊本市の熊本駅周辺地区でした。)

 

八条が池周辺①

 

そんなことで長岡京の八条が池周辺は、

景観問題を専門に考えている人たちからも注目されているのです。

 

ただここで注意しておきたいのは、そうした景観が、

長い期間にわたりこれまで多くの人たちの手によって

守られてきたという意味で歴史性をもっているということです。

景観とは歴史的景観なのです。

 

八条が池周辺②

 

禅の世界にも景観にまつわる逸話が伝えられています。

 

臨済禅師が松を植えていますと、

師匠の黄檗禅師がやってきて「何をしているのか」と尋ねます。

すると臨済は、「一つにはこの寺に風致(原文は「境致」)を添えるため、

もう一つは後世の人のための標識にしたいのです」と答えています。

 

この話は『臨済録』に出ている「臨済栽松の話」として知られていますが、

「寺に風致(境致)を添える」というのは、

まさに臨済禅師が禅寺に相応しい景観を考えていたということでしよう。

 

禅寺はやはり禅寺らしい風格を必要とします。

広い境内を有する禅寺では大抵、

山門から本堂に通じる道が長い松の並木になっています。

 

そこにも禅僧たちが長い年月にわたって守りつづけてきた、

禅寺独自の景観の歴史が刻み込まれているのだと思います。