漱石という大樹―寺田寅彦の思い出より(令和2年9月2日)

 

長岡禅塾の薄(ススキ)

「秋晴の強き芒(すすき)にふれにけり」(石鼎)

*原石鼎(はらせきてい)大正期の「ホトトギス」を代表する俳人の一人

 

日中は相変わらず酷暑がつづきます。

それでも知らぬ間に、しかし確実に、

秋が近づいてきているように感じます。

 

本日は人のために涼しい木陰となった人の話をしてみましょう。(注1)

取り上げるのは夏目漱石です。

 

漱石については多くの人が書き残していますが、

そのなかで寺田寅彦の言葉を拾ってみたいと思います。(注2)

 

「私などが時にいろいろ不愉快なことがあって、心の遣り場がなかった折りには、

きっと(漱石)先生の所へ上がる、そうすると、ただもう先生と向き合ってみたばかりで、

それでもう充分に慰められる。・・・別に慰めるようなことを言われるでもないが、

充分にその思いやりを受けることが出来るような気がする。」

 

「色々な不幸のために心が重くなったときに、

先生に会って話をしていると心の重荷が、いつの間にか軽くなっていた。

不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると、

そういう心の黒雲が綺麗に吹き払われ、

新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことが出来た。

先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。」

 

「美しき蔦(つた)の葉陰の呼鈴の釦(ぼたん)を押すが嬉しかりしか」

「先生と対(むか)ひてあれば腹立しき世とも思はず小春の日向(ひなた)」

「此の憂(うれい)誰に語らん語るべき一人の君を失ひし憂」

 

以上、近刊の寺田寅彦『漱石先生』(中公文庫)から抜き出してみました。

引用した最初の二つの文章についての説明は不要でしょうから、

最後の短歌三首についてちょっと蛇足をくわえておきます。

 

第一首は寅彦が漱石をその住まいに訪った時のことを詠っています。

寅彦は五高の生徒であった時から頻繁に漱石宅に入り浸っていました。

その時のまるで恋人に会う時のような、わくわくした気持ちがその句によく出ています。

 

第二首は最初に引用した二つの文章の内容を歌にしたものです。

漱石の存在そのものが醸し出す春風駘蕩とした風格が、

歌の最後の七語「小春の日向」によく表わされています。

「先生と話して居れば小春哉」の句もあります。

 

第三首。寅彦にとって漱石はいつでも彼をやさしく包んでくれる掛け替えのない大樹でした。

この歌は漱石が亡くなった後の喪失感を詠っています。

やるせなさがひしひしと伝わってきます。

 

こうしてみますと、漱石の人物としての大きさが改めてわかります。

その大きさは漱石晩年の言葉「則天去私」に即して言えば、

「小さな私を去って」「無限大の天に則って生きた」その大きさであり、

漱石のそこからくる心の開けが、彼をして門人のための大樹たらしめていたに違いありません。

 

かつて私は禅の第一義の立場から

漱石の悪口を言ったことがありましたが、

それでも彼の禅的な境涯は相当に進んだものだったと考えています。

(大雲好日日記50「漱石と禅」参照)

 

(注1)「大雲好日日記101」参照。

(注2)寺田寅彦。1878-1935、明治11-昭和10年。物理学者、随筆家。

漱石が熊本の第5高等学校に赴任していた当時の教え子。

以来、漱石(1867-1916)が亡くなるまで交流がつづく。

『漱石先生』(寺田寅彦)