母について(令和2年9月23日)
禅塾の彼岸花
〇 声を かぎりに 母の名よべば
花の おもかげ やさしく浮かぶ
あゝ 生きる日の 哀しみも
み手 にすがれば 涙にとける
うれしなつかし 観世音
悲 母 観 世 音 菩 薩 さ ま
想い あふれて 母の名よべば
愛の まなざし こころにうるむ
あゝ 人の世の 苦しみも
願い ひとすじ はれゆく霧よ
うれし なつかし 観世音
悲 母 観 世 音 菩 薩 さ ま
〇 母の手は 家族のための手だったと 子に文旦をむきつつ思う(星田美紀)
〇 床に臥す 母の背中に手を伸べば ゴツゴツと骨隆起しており(大雲)
〇 「もう帰るの」 母のその声 悲しくて まっすぐ街に飛び出さんとす(大雲)
亡くなった自分の母について何か書きたいと思ってきたのですが、
現在までのところなかなかうまくまとまりません。
そこで最近読んだ本の中から、
強く私のこころに響いた吉村比呂詩・作の詩「悲母観世音菩薩さま」を
ここに引用させていただきました。
この詩は幼少期に両手両足を失い苦難の人生を歩んだ
中村久子(1897-1968)の自伝『私の越えて来た道』に引用されています。
星田さんの歌は朝日歌壇に掲載されたものです。
(令和2年、秋の彼岸の日に記す)