「盤珪の不生禅」(令和2年9月30日)
禅塾近辺のタマスダレ
この夏は盤珪の不生禅について考えていました。
ここで少し整理をしておきたいと思います。
まず、盤珪とその不生禅について簡単に見ておきます。
盤珪永琢(ばんけい・ようたく、1622-1693)は江戸時代の初め頃(元和~元禄)、
現在の姫路市網干の龍門寺を中心に日本の各地で活躍した禅僧で、
道元、白隠とともに「日本」禅を挙揚した大禅師でした。
その禅は不生禅という名で知られています。
「不生」とは、「不生不滅」の「不生」で
「生じない」の意味です。
盤珪が「不生」とだけ言って、「不滅」と言わないのは、
「生じない」ものは「滅する」こともないからです。
盤珪は約6年の苦行を経て、
ついに「不生で一切事が調う」と大悟しました。
それで、以降、盤珪はいつも「不生」ということを中心にして
説法をつづけたのでした。
「不生」とは「生じない」ことですから、
「生れない(従って、死なない)」という意になりますが、
「一念不生」のように使われる時には、
「思慮分別(思い)」を「生じない」という意味になります。
ここでは「不生」の意味を
後者の意味の方に焦点を合わせて
話をすすめて行きたいと思います。
一体、私たちに問題が起きるということは
どういうことでしょうか。
それは、何かについて「思い」が生じることです。
「不生」なら問題の生じるわけはありません。
そこで盤珪は一切の問題の所在は「思い」にあると看破したのです。
それで以降は「不生」の二文字だけで人々を教化しようとしたのでした。
実は、これと同じような提言が
盤珪よりずっと以前に言われていました。
三祖僧璨(そうさん、中国、500~505頃-606)の「信心銘」に
「一心不生ならば、万法咎(とが)なし」、すなわち、
「思いが生じなければ、万事問題なし」と言われていて、
これは盤珪の「不生で一切事がととのう」と同じ意味になります。
しかし三祖が「不生」の文字を使って説法したかどうかは分かりません。
この点で盤珪がその文字一本で人々を仏道へ導こうとしたことは、
やはり独特であったと言わなければならないでしょう。
そのほか、以下の諸点も
盤珪禅の特色として挙げることができるでしょう。
1 坐禅や公案を重視せず、浄土系の宗教と同様に、説法をよく聴聞することを薦めたこと。
2 規矩縄則をもってせず、不生によって治めようとしたこと。
3 棒喝によらず三寸(口頭)で接化しようとしたこと。
4 難しい仏語祖語にたよらず日常の生活に即して仏法を説いたこと。
5 禅問答に漢語を用いず、日本人に分かりやすい日常語を用いたこと。
これらの点は、
中国の禅を踏襲してきた日本の禅の修行形態としては、
他に例を見ない独特なものでした。
それらのうちで私が特に注意したいのは、
盤珪が(1)に挙げたように聞法を重視していた点です。
聞法とは文字通り仏法を聴聞することを言います。
たとえば、盤珪はつぎのように説教しています。
「身どもが指図にしたがって、身どもが指図をとっくりとお聞きやれ。
とっくと聞いて決定(けつじょう)めされば、
直に今日の活仏(いきぼとけ)じゃ」。(御示聞書、下)
このような聞法形式は親鸞・蓮如に代表される
浄土真宗で重視される教化のやり方で、
そこから妙好人と言われるような篤信の信者が
たくさん誕生しました。
聞法は足を組む坐禅とは異なりますが、
無我で聞かねばならない(盤珪は「とっくと聞いて」と言っています)
という点でいわゆる坐禅とそう違わないところがあります。
坐禅も無我で坐らなければならないのですから。
仏法の行法はすべて無我(無心)、三昧(禅定)を
根本に据えているのです。
盤珪は臨済宗の僧侶であったにもかかわらず、
一般大衆のためには聞法をよしとしていました。
盤珪はこの方法によほど自信があったのでしょう。
それで聞法については,
もう少し研究してみる必要があるようです。
(2021年12月10日、加筆改訂)