「香洲老師の書」(令和2年11月25日)
閑日月の香洲老師
今夏、長岡禅塾初代塾長の梅谷香洲老師と
親しくされていた方のご遺族から、
老師の書を寄贈していただきました。(写真1)
香州老師の書(写真1)
「松老雲閑 曠然自適 香洲書」と書かれています。
「松老い雲閑かにして、曠然として自適す」と読みます。
「老いた松や閑かな雲のように、悠々自適に暮らす」といった意味です。
修行をやり終えた後の一境地を示していて,『臨済録』に出ています。
現在は新たに表装して書院の床の間に掛けさせてもらっています。
これと同種の書が香洲老師の
遺稿集『傳芳夜話』に見られますので、
ここに再録しておきます。(写真2)
香州老師の書(写真2)
字並びが少し異なりますが筆跡はよく似ています。
こちらの方は他の門人に送られたものと思いますが、
老師は比較的筆まめな方であったように窺えます。
禅塾の規綱寮に香洲老師の書がもう一本掛けてあります。(写真3)
香州老師の書(写真3)
「虚空蔵 香洲書」とあり、「虚空蔵」とは「空っぽの蔵」という意味です。
しかし、「空っぽの蔵」とは、禅語に「無一物中 無尽蔵」とありますように、
「あらゆるものを限りなく収めることのできる蔵」の意でもあります。
この書の筆勢は上の二つ書が繊細な
「手弱女ぶり」を示しているのに対して、
雄渾な「益荒男ぶり」を現しています。
一方は、他に対して「春風駘蕩」としてどこまでも柔和、
他方は、自らに対して「秋霜烈日」のごとくあくまでも峻厳、
禅僧に見られるこれら二つの相反する性格の同居を、
それらの書を通して香洲老師にも見ることができます。