よろこび(Freude)
喜びを感ぜられない人ほど不幸な人はあるまい。
それは最大の不幸である。
かかる人はいかに恩を受けても感じ得ない人である。
いかに富裕に、いかに不自由なき生活に包まれても、
冷たい中に棲んでいる人である。
温か味のなき生活である、
砂漠のような心、荒地のような生活、
これを心田の枯渇というのである。
蜂屋賢喜代『佛天を仰いで』
*「全体が有り難いとなれずとも、せめては喜ぶべきことだけなりと、のがさず拾い上げて喜ぶようになさい。拾い上げねばいかに多くあっても我がものとはなりませぬ。そして選び出し、つまみ出し、拾い上げていくならば次第次第に喜びが多くなって、不幸と思っておったことまでが結構な意味をもつようになってくるものです」。(蜂屋賢喜代『人間道』)
*私がよろこべないのは感謝の気持が少ないからである。感謝の気持が少ないのは、すべて当たり前だと思っているからである。愚かなことである。
*“Freude(フロイデ)はドイツ語で「よろこび」とういう意味。毎年暮れになると、この国でもベートヴェンの『交響曲第9番』が聞かれるようになりますが、その「合唱」の部で「フロイデ、フロイデ」と「よろこび」の声が高らかに響きわたります。
禅塾の南天(ナンテン)