大雲の“べからず帖”(令和3年1月20日)
図書室の静けさに咲く水仙花
良寛さんに自筆の戒語集が数種類残されています。
ほかに幾つも異本もあります。
人々に愛され尊敬されてきたあの良寛さんに、
おそらく自戒の意味もあったであろう戒語集が
それほど多く残されていることに驚かされます。
年頭にあたり、良寛さんに見習い、
禅師の書き残されている戒語のうちから三つ、
私自身にも当てはまるものを選びだし、
自戒としてここに挙げておきたいと思います。
〇「口のはやき」
――私は昔から早口だと言われています。
この頃は、とくに大勢の人の前で話をするような場合には、
早口にならないよう前もって注意するようにしているのですが、
話し出すと、もうすっかりそのことを忘れてしまっているようです。
私の話を聞いてくださる皆様に分かっていただけるよう、
今年はなるべくゆっくり話すようにいっそう心がけたいと思います。
〇「悟りくさき話」
――「くさい話」といいますのは、
その筋の専門家が自分の専門のことを得意げに話し、
聞いている相手を辟易させてしまうような話のことです。
良寛さんは鼻につくような「くさい話」として、
ほかに「学者くさき話」「茶人くさき話」などを挙げています。
(『禅に親しむ』第30話を参照)
さて私の仕事の主なものの一つに、
禅についての講話(提唱と言っています)があります。
それは聴衆者の皆さんを禅の悟りに導くための話ですから、
いきおい「悟りくさき話」になってしまいます。
このことはある程度しかたのないこととして、
できればなるべくそうならないようにしたいものです。
その方法の一つとして、一般の人に向かっては話をする場合には、
禅の専門的なテキスト(たとえば『臨済録』や『無門関』など)を離れて
話をするというやり方があります。
これには禅以外のことについてたくさん勉強し、しかもそれらを禅の文脈に関連づけて
話す必要がありますので、いっそう大変なことに違いありませんが、
そのための努力を怠らないようにしたいと思います。
長岡天満宮の今年の絵馬
もう一つ、話ではなく所作や行動を通して、
悟りについて何かを感じてもらうというやり方が考えられます。
いわゆる後姿を見せるというやり方です。
そのためには当然、私自身が日常の生活を綿密にやっていかねばなりません。
たとえば、草履をそろえるといった些細と思われるようなことから、
塾生への接し方にいたるまで、すべての点においてです。
そのために日日これ修行の思いを、いつも新たにしたいと思います。
〇「つねにあわきものをくうべし」
――私は元来あまり脂っこいものを好まないので、
この戒めが直ちに当たるわけではありませんが、
食に関して少々食べすぎるきらいがあります。
食事を準備するような場合、
いつも少し多い目に用意しておかないと不安なのです。
(昔の貧しい時代の名残りでしょうか)
それで多い目に準備しますから、結局食べ過ぎることになります。
その結果、胃薬のお世話になる始末です。
「心の欲する所に従って矩(にり)を踰(こ)えず」(論語)を、
食に関しても守ってゆきたいと思います。
以上の戒語のほかに、以下の三点を願文としたいと思う。
〇「ああそうですか」と言って、すべてをそのまま受け入れる。
〇「おさきにどうぞ」と言って、他を先にする。
〇「ありがとうございます」と言って、感謝の気持ちを表わす。
そして、これらのことについて、
その日の終わりに反省してみることも忘れないようにしたいと思います。