コロナ社会のストレス解消法(令和3年2月3日)

 

ロウバイ(長岡禅塾)

 

季刊雑誌『禅文化』259号(1月25日発行)が、

「コロナ禍の今を生きる――禅からの提言」と題して、

特集を組み、4本の文章を載せている。

 

内容は以下の通りである。

①「不条理を生きる」(横田南嶺)。

②「白隠『内観の法』のすすめ」(松竹寛山)。

③「この時代をどう生きるか」(曦宗温)。

④「衆生の病苦を除く『僧医』たち」(長崎陽子)。

 

①では、コロナ禍という現在私たちの経験している「不条理」、

それから「不要不急」について禅の立場から提言がなされている。

 

②では、白隠禅師自身のストレス解消となった「内観の法」(『夜船閑話』)を、

現在の私たちでも活用できるようにやさしく解説されている。

 

③では、この状況下であらためて人間の生と死の問題を見つめ直そうとする

試みがなされている。

 

④では、「僧医」もしくは「医僧」と呼ばれる、高度な医学知識を持って、

病人の治療にあたった仏教僧たちの活躍が歴史的に明らかにされている。

 

新型コロナウィルスのことが報じられてからほぼ一年が経過した。

この間、世の中は一変したと言えよう。これまで想像もしなかったことが、

私たちの身の回りで多発している。そういう時に思考するヒントの一つとして、

上記の文章は役立つかもしれない。

 

さて私も禅僧の端くれとして、この際、黙っていることは許されないだろう。

そこで今はとりあえず坐禅の時の呼吸法について述べておこう。

(禅の世界では余りにも通例的なので、あえて今回の『禅文化』紙上では

触れられなかったのであろうが、やはり大切なことだと思うので。)

 

坐禅の時に行う呼吸法に数息観(すうそくかん)と呼ばれているものがあり、

とくに禅の初心者に勧められている。

以下で私が坐禅会などで使用している自作の「坐禅の作法」から必要な部分だけを

抜き出して紹介しておく(「坐禅の作法」はあくまで初心者のためのものなので、

細かな説明は省略している。)

 

<坐の組み方>

①片方の足を他方の脚の付け根につけるようにしてあげ、つぎに下になっている方の足を上になっている方の脚の付け根まであげて坐る(結跏趺坐)。これができない場合は、どちらか一方の足を他方の脚の付け根につけて坐る(半跏趺坐)。どちらもできない場合は正坐にて坐る。

②背筋を伸ばす(このことが非常に大切)。顎を引く。眼は開いたまま、視線は自然に落ちるところに落とす。手は一方の手で他方の手を軽く握って、自然に落ちるところに落とす。

③身が整ったら、心を整えるために数息観というものを行う。やり方は次の通りである。――まず大きく長く息を吐きながら、心の中で「ひとつ」と数を数える。同じやり方で順に「ふたつ」「みっつ」というように「とう」まで数えて行く。途中で雑念(妄想)が入ったら、最初に戻ってやり直す。十まで行けたら再び一から始める。このようにして数に集中することで三昧(禅定)の心を養う。

*①で足の組み方について基本的なことを書いているが、足の組めない人も多いと思う。

その場合には、イス坐禅という方法がある。

その場合、イスに深く腰をかけ、背筋を伸ばすことが大切である。

坐る時間は最初は10分くらいから始め、慣れてきたら徐々に時間をのばしてゆき、

一回に35分~40分くらい坐れるようになればよい。

できれば坐る場所を荘厳する工夫をしてみるのも楽しい(たとえば、線香を立ててみる等)。

 

坐禅に習熟することによって次第に心が落ち着いてくるようになる。

そのことによって、コロナ社会をどう生きてゆくかについて、

その人なりの沈着な判断ができるようになるだろう。

 

ちなみに同雑誌紙上には「人生の目的」と題した拙文も掲載されている。

その文章は私の著書『禅に親しむ』(禅文化研究所)から採られている。

どうしてそれが今回の特集号に再録されたのか、

その理由がよくわかないのであるが、もしかしたらこうした状況であるから、

人生について考え直してみようと思う人のために用意されたのかも知れない。