光明遍照十方世界
ドウダンツツジ(長岡禅塾)
廊下の掃除をしておったら、
そこが光明遍照十方世界、
草引きのときは、
草引きの場が光明遍照十方世界。
立つとき光明、
坐るとき光明。
森本省念老師『森本省念老師、上』(燈影選書27)
*「光明遍照十方世界」という言葉は、浄土三部経の一つ『観無量寿経』に「一々光明、遍照十方世界、念仏衆生、摂取不捨(一つ一つの光明があまねく十方の世界を照らして、念仏する衆生を捨てられることがない)」と出ていて、浄土宗では普段のお勤めの時に、その文句が唱えられているようです。
*森本老師は、拭き掃除なら拭き掃除に徹しているところ、つまり三昧になっているところが念仏しているところと同じだと理解をされていますので、上のような言い方になるのです。森本老師がこのことに気づかれたのは、若いころに居候されていた浄土宗のお寺で、和尚の唱える「光明遍照十方世界」の声を聞きながら、廊下の拭き掃除を一所懸命にされていた時のことでした。それで老師は自分の経典を面白おかしく払拭掃除三昧経だと言っておられます。(詳しくは上掲書の9頁ならびに75頁を参照してください)。
*伝教大師の「一隅を照らす」(「法語掲示板11」参照)その光は、浄土教では無量光仏である阿弥陀仏の光に帰せられることになります。いずれにしても、「三昧の人」がそういう「光明の人」となることに変わりはありません。
*「光明遍照十方世界」の類語として、禅宗の語録『無門関』(三九則)に「光明寂照遍河沙(光明が黄河の沙を寂かに遍く照らしている)」の語が見られます。