懺悔文(さんげもん)

 

レンギョウ(長岡禅塾)

 

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)

<昔より作りしおのがもろもろの罪は>

 

皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)

<始めもわからぬ古(いにしえ)の貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)による>

 

従身口意之所生(じゅうしんくいしょしょう)

<身(からだ)口(ことば)意(こころ)より生まれしその罪を>

 

一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

<今こそすべて悔い改めん>

 

『臨済宗檀信徒経典』

 

 

*市販されている『臨済宗檀信徒経典』を開きますと、最初に「開経偈」、その次に「懺悔文」とつづきます。この点から見て、禅宗でも懺悔の心が重視されていることが分かります。

 

*人間はすべての点で有限ですから、至らぬ点(不完全性)が常に存します。ですから、日々、自己を反省し懺悔することが必要になります。

 

*上の「懺悔文」は華厳経(行願品)に出ていて、華厳宗の僧であった明恵上人は自らの臨終に際して、この懺悔文を唱えていたことが『明恵上人伝記』に記されています。

 

*「懺悔文」では、人間の罪の由来が仏教の輪廻(生死流転)の思想に基づいて述べられています。それを今風に解釈しなおして言えば、私たちの罪は、遠い昔の祖先から現在の私にまで伝わってきた遺伝子(DNA)のなかに組み込まれた罪の因子(貪瞋痴)が、わたしの身口意を通して現われてきた結果である、ということになるでしょう。そこに罪の根源の深淵性が示唆されています。

 

*「貪瞋痴」「身口意」ともに仏教用語です。「貪瞋痴」は三毒とよばれて、いずれも私たちを滅ぼす害毒と考えられてきました。「身口意」は人間の基本的な行為をその三つに見て、それらを合せて三業(さんごう)と呼んでいます。