識羞(しきしゅう)(令和3年6月23日)
キキョウ(長岡禅塾)
蜘蛛(くも)の糸みたいに細き電話線
ワクチン求め犍陀多(かんだた)になる
(さいたま市)箱石敏子
65歳以上の人なら、その多くが経験したであろう、
あのコロナワクチンの争奪戦を!
箱石さんはその修羅の様を
芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』を下敷きにして巧みに詠っています。
犍陀多はいろいろの悪事をはたらいた大泥棒で、
その罪のために地獄の底に落ちていました。
けれども一度だけ蜘蛛の命をたすけたことがあったので、
お釈迦様は犍陀多を地獄から救ってやろうとお考えになり、
極楽にいた蜘蛛の糸を使ってそれを地獄に垂らされました。
犍陀多は喜んでその細い糸を伝って極楽の方に上っていきます。
ところが地獄に落ちていた他のものたちも、
その細い糸を伝って上って来るのが見えたので、
犍陀多が「降りろ、降りろ」と叫んでいるうちに糸は切れてしまいました。
こうして犍陀多は再び地獄の底に落ちてしまいます。
この様子をご覧になっていたお釈迦様は、
人間の浅ましさをいたく悲しまれたそうです。
ワクチン接種予約の解禁日に、
待ち構えていた市民が一斉に市役所に電話をかけました。
そのために電話線は許容量をはるかに超えてパンクしてしまいました。
頼りの電話線は老人たちにとって実に「蜘蛛の糸みたいに細き電話線」だったのです。
そして、その結果、当座は電話が不通となり、
せっかく繋がっても、時すでに遅しで、
多くの人が接種の予約に失敗してしまいました。
ワクチンの予約四日目昼ごろつながりて「五月六月終了しました」
(枚方市)鍵山奈美江
結局はワクチン獲得戦争に負けたということ早い話が
(五所川原市)戸沢大二郎
こういうことを経験した老人たちの中には、
地獄でなくても失意の底に落とされた人は、
確かにいたはずです。
実は私もその一人でした。
長岡京市では5月6日の9時に予約が開始されました。
あらかじめ携帯電話のラインを使って市役所と繋がるように設定しておきました。
しかし混雑していたことに加えに、不慣れなこともあって、
決められた手順に従って操作するのですが、なかなかうまく繋がりません。
そこでラインの他に電話も使ってアタックを試みました。
12時半頃にやっと繋がりましたが、
聞こえてきたのは「本日の受付は終了しました」という何とも惨めなアナウンスでした。
結局、その日は半日そのように徒労に終わりました。
正直に言いますと、その当座は大変悔しい思いをしました。
しかし、しばらくしてフトわれに返りました。
そして、思ったことは何とも言えない自分の浅ましさでした。
もし私が首尾よくワクチン接種の権利を得ることができたとしたら、
そのときは他の多くの人を「蹴落とした」ことになります。
私の今回の行いをよく反省してみますと、
私は他を「降りろ、降りろ」と言って、
自分だけが先に助かろうとした犍陀多になっていたのでした。
そして犍陀多となって地獄に落ちました。
それで、日ごろ、「他を先に」という
菩薩の精神を目指していたはずの自分を
恥ずかしく感じた次第です。
と同時に、自分の修行の未熟さも思い知らされました。
*「識羞」とは修行の未熟さを恥じる意味である。
*上掲の歌は何れも六月十三日の「朝日歌壇」に掲載されたものです。選者の高野公彦はそれらをあわせて一挙に十首、コロナワクチンに因んだ歌を選出していました。