私一人のため(令和3年9月1日)

 

紫式部(長岡禅塾)

 

朝日新聞朝刊の「折々のことば」に

こんな言葉が掲載されていた。(2021/7/25)

 

この本こそ私一人のために書き残されたのだ、

という読書の体験をもたないひとは気の毒な、

不幸なひとだ。

 

唐木順三の随想集『朴の木』に出ているそうだが、

私はまだその本を見ていない。

 

その文章を読んだとき、

私はすぐに自分のことを考えてみた。

果して私に唐木順三のいうような読書体験があったであろうか、と。

 

これまで多くの書物を読んできて

感銘を受けたものは少なくないが、

残念ながら、「私一人のために書き残されたのだ」

と強く感じたような本は今もって思い出すことができない。

 

そのことはともかく、人生において、

「私一人のため」と思わせるような何かに出会い、

そのことによって生きて行く道筋がはっきり示されたとするなら、

これほど「幸運なこと」は他にないに違いない。

 

代表的な例として親鸞のことが思い出される。

『歎異抄』の中に次のような言葉が見える。

 

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、

ひとへに、親鸞一人がためなりけり。

 

訳:阿弥陀さまが、五劫という永いあいだお考えになって、

すべてのいのちあるものを救おうとしてたてられた誓願を、

よくよく考えてみますと、それはひとえに、

この親鸞一人を救ってくださるためでした。(千葉乗隆訳)

 

阿弥陀仏がたてた四十八の誓願は、

「罪悪深重、煩悩熾盛」に苦しむ一切の衆生を救済の対象にしていたのであって、

決して親鸞一人を救おうとしたものではない。

客観的にはそういうことである。

 

しかし親鸞においては、

「罪悪深重、煩悩熾盛」とは他の人の事ではなく、

まさにこの私自身の事なのだった。

親鸞をして弥陀の誓願は自分一人のためだ、

と言わしめたのは、そうした自覚にもとづいている。

 

かくして親鸞の人生の道筋は、

はっきりと照らし出されることとなった。

すなわち、それは念仏一筋の人生(無碍の一道)である。

ここにおいて親鸞の信は確立し安心が約束された。

 

もうひとつ例を挙げておこう。

森本省念老師は「私の西田先生」という文章を書いておられる。

(『禅 森本省念の世界』所収)

 

その場合、「西田先生」の前に「私の」と言葉が付けられていることで、

森本老師の先生である西田幾多郎に対する敬愛の情がいっそう強く感じられる。

それで「私の西田先生」は実際には、「私一人のための西田先生」

と同じような意味になっていると思うのである。

 

それほど「西田先生」は森本老師にとって大きな存在だったのであり、

西田との出会いが老師の一生を決めたといっても過言ではない。

こんな話が残っている。(以下、土井道子『ことばがかがやくとき』より)。

 

わしな、西田先生の処へ行ってな、こう言いましたんや。

お前この池へ飛び込め、いわれたら飛び込みます、

そういう師匠がほしい、とな。

先生「う―ん」いわれて暫く考え込んでおられたが、

「坐るか――」いわれました。

わしの一生、その一言で決まりました。

 

「坐る」はこの場合、出家のことを意味している。

こうしてここに禅僧森本省念老師が誕生することになったのである。

 

上でみたように「私一人のため」という思いは、

その後の人生行路を決定するほど、

「私」に甚大な影響を与えた人格に向けられたものであるが、

そこにはそのことに対する言いようのない感謝の気持がこもっていよう。

 

それは「私」を育ててくれた母への感謝の気持が強ければ強いほど、

たとえ他に多くの兄弟姉妹がいても、それだけ母の愛が「私一人のため」だった

と思われてくるのと同じ道理である。

 

*唐木順三:1904-1980. 京都学派の文芸評論家、思想家。西谷啓治の紹介で長岡禅塾を訪れたこともある。森本省念老師のことを「今良寛みたいな人」と評した。(『森本省念老師 (下)』99頁)。

 

 

 

 

 

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