禅と浄土(5) 法燈国師と一遍上人 (令和3年9月15日)
夕陽に映える紅葉(禅塾近辺)
前回、白隠の『遠羅天釜』から独湛と円恕の問答を取りあげた。
今回はそれに類似の問答を三話ばかり挙げておきたい。
〇最初は比較的よく知られた法燈国師と一遍上人の問答。
一遍上人が宝満寺(神戸市に現存)で法燈国師に参禅したおり、
国師が「念起即覚」の話を提起された。
すると、上人はつぎのような歌を呈して答えた。
「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして」
国師、この歌を聴いて、曰く、
「未徹在」(未だ徹底した三昧の境に入っていない)。
すると、上人、またつぎのように読んで呈した。
「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」
これを聞いて、国師は手巾と薬籠を与えて印可(悟りの認可)の証明とした。
(大橋俊雄校注『一遍上人語録』岩波文庫)
「念起即覚」というのは、直接的には、
「思い、すなわち妄想が起れば、
ただちにそのことに気づき三昧の境にもどれ」
というような意味である。
この場合であると、「念起即覚」の話をすることによって、
法燈国師は一遍上人が念仏の行者として
真に三昧の境に入っているかどうかを
点検してみられたのである。
その結果、一度目の答えでは、
念仏を唱える一遍上人と念仏の声とが分かれていて、
まだ念仏と一つになった三昧の境に入っていないので
「未徹在」となったのだ。
これに対して二度目の歌では、
「南無阿弥陀仏あむあみだ仏」と
一遍上人が「南無阿弥陀仏」と一つになったところが歌われているので、
法燈国師はこれを許したのであった。
〇今北洪川老師と真宗の僧侶との問答。
僧侶曰く、「あなたの方では自力修行をして悟りを開くのだから、
なかなかのことだろうが、わしの方は、結構なことじゃ、
わし等のようなものでも、他力本願によって、助けていただけるのじゃ、
他力で仏の証(さとり)を開かせていただくのじゃ」。
それをじっと聞いていた洪川老師は、
「ウンウン、お前さんは、それでよい、それでよい」。
と、さも平気に、子供にでも言っているように、応えておられた。
そして真宗の僧侶は言い放った。
「他力本願を信ぜぬものは地獄に落ちるのじゃ」。
すると、老師はきわめて率直に答えられた。
「ウンそうじゃ、わしはその地獄に落ちたら、そこでもう一修行するつもりじゃ」。
(蜂屋賢喜代『聞法の用意』法蔵館、2018.)
この問答の眼目は、挑戦的とも思える真宗僧侶の言い分に対して、
洪川老師が「お前さんは、それでよいそれでよい」と言って、
何ものにも囚われない自由な態度で相手を包んでいかれたことである。
しかし、これとは一味違った行き方もある。
蜂屋賢喜代師の経験談である。
ある時、各宗管長会議があった際に、
東本願寺から管長代理として出席していた僧侶が、
禅宗の坊さんに、
「あなたの方は自力ですから、なかなか御難儀ですが、
私の方は他力易行の法ですから、
信ずるばかりで、助けていただくのです」と。
すると禅僧が、膝をにじり、講師の顔をさしのぞいて、
「ウン? ・・・あんたは易いというが、
あの蓮如のいうている、一念帰命というやつは、
あれはなかなか、本当は、どえらい難し・・・んだぞッ」、と
力を込めて言い切り、真宗の僧侶をにらみつけた。
すると、得々然としていたその僧侶の顔がみるみるうちに変わって、
黙ってうっぷしてしまわれた。その様子を見ていた蜂屋師は、
僧侶が念仏に徹していなかったのだということが分かり、
以降、自分もうかうかしておれぬと思われた由である。(蜂屋、上掲書)
*「一念帰命」:南無阿弥陀仏の一念に帰依すること。
*蜂屋賢喜代(はちや・よしきよ)、1880-1964年。清沢満之門下。
真宗大谷派僧侶として、大阪を中心に布教・伝道に尽くす。