良寛と貞心尼(令和3年12月1日)

 

紅葉(長岡天満宮)①

 

君看よ双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり

(君よ、私の目を見てくれたまえ、

口に出さなければ憂いがないように見えないだろうか)。

 

良寛も愛したこの言葉は、

私には良寛が自分の自画像に添えた

讃のように思えてならない。

 

乞食(こつじき)の侘び住まいに一生甘んじた

良寛の生活の背景は絶えず

薄墨がかかっていたように思えるからである。

 

この思いは水上勉の『良寛』を読んだ後だから、

いっそうそのように強く感じられるのだろうか。

 

しかしそうした良寛にも

春の陽のような柔らかい光の射した時があった。

それは良寛の最晩五年間のことである。

貞心という名の尼僧が良寛を訪ねてきたのであった。

 

その時、良寛70歳、貞心尼30歳。

貞心尼は女盛りで、しかも美貌であったようだ。

 

彼女は越後長岡藩の女(むすめ)で、

一度、医者のところに嫁いだことがあったが、

わずか五年で夫と死別、実家に帰って得度して、

洞雲寺という曹洞宗の寺に住んだ。

 

以来、良寛の庵を往復し、良寛の最期を看取った。

その後、『蓮(はちす)の露』の編纂、良寛略伝の作成、

遺作歌の蒐集などに尽力した。

 

『蓮の露』には良寛と貞心尼の間で

取りかわされた贈答歌が収められていて、

そこに二人の間の恋情がうかがえる。

そんな歌を幾つかを拾ってみたい。

 

たちかへり またも訪ひ たまほこの 道のしば草 たどりたどりに(貞)

またも来よ しばのいほりを いとはずば すすき尾花の 露をわけわけ(良)

 

貞心尼の歌の詞書きに「いざかへりなむとて」とあり、その歌が良寛を訪ねた帰えり際の歌だとわかる。良寛の歌はその返歌。歌意はそのままで十分通じるだろう。相思の二人、貞心・良寛の間に交流した深い惜別の情を感じることができよう。

 

君にかく あひ見ることの うれしさも まださめやらぬ 夢かとぞ思ふ(貞)

夢の世に 且つまどみて 夢をまた かたるも夢も それがまにまに(良)

 

これは貞心尼が憧れていた良寛に初めて会った時の歌であろう。うれしいのだけれども、夢ではないかと思う、と貞心はいう。それに対して良寛は、わたしたちはもともと夢の世界に生きているのであるから、その夢の世界で夢のことを語ることであっても、そのままでいいのだよと、まるで孫娘に語りかけるようにやさしく仏の道を説いている。

 

ここで、良寛と貞心尼の愛の交換が仏道を介したものであったことに注意しておくことが大切である。もしも良寛が尊敬に値する仏道の人でなければ、二人の間に恋愛関係は成立しなかったに違いない。

 

白たへの ころもてさむし 秋の夜の 月なかぞらに すみわたるかも(良)

向ひゐて 千代も八千代も見てしがな 空行く月の こと問はずとも(貞)

 

詞書きに「いとねもごろなる道の物がたりに夜もふけぬれば」とある。二人は夜遅くまで仏の道について語り合っていたのであった。急に袖のあたりが寒くなってきたのに気づいた良寛は、今ごろは空には寒々した月が中天にかかっているのだろうねと、歌に寄せた。

良寛様、空の月のことなど言わずに、わたくしといつまでも向かい合っていてください、千代も八千代までも。貞心尼の甘えるような返歌の内容である。

 

そのままに なお堪へしのべ いまさらに しばしの夢を いとふなよ君(貞)

あづさゆみ 春になりなば 草の庵を とく出て来ませ あいたきものを(良)

 

良寛は病の床についていた。死期が近づいていたのである。貞心尼は見舞いの手紙に歌を添えた。良寛様、闘病生活はお辛いでしょうが、しばしの夢と思って嫌がらずにがまんしてください。もう少しの辛抱ですよ。

良寛の返し。春になり雪解けが始まったら、あなたの庵を出て一刻も早く訪ねてきておくれ。ああ、会いたい、会いたい。

 

良寛のこの歌についての吉野秀雄の評を載せておこう。――「あひたきものを」の結句に千鈞の重みがあり、直接で強烈で、人間的な紅血の激(たぎ)が感じられる。・・・この結句を斎藤茂吉が絶賛して以降、もろもろの評者こぞって賞めつづけて来たかと察せられるが、この場合いくら賞めても賞めすぎるということはないだろう」(『良寛 歌と生涯』)。

 

そのように最晩年におとずれた若い貞心尼との霊性的交流は、墨絵の仕上げに一刷毛の紅がほどこされたような華やぎを良寛の人生にあたえたのであった。

 

うらを見せおもてを見せて散るもみじ(良)

 

<余禄1>11月9日に作家の瀬戸内寂聴さんが死去された。折しも私はその頃、貞心尼を主人公にした瀬戸内さんの小説『手毬』を読書中だったので、その偶然に驚いた。彼女は天台宗の尼僧でもあり“同業者”としてその動向を遠くの方から眺めていただけなのだが、ご冥福をお祈りしたい。

 

<余禄2>偶然には偶然が重なるものである。岡本かの子の『仏教人生読本』(中公文庫)を読んでいたら、その解説を瀬戸内寂聴さんが書いていて、そこに彼女(瀬戸内)が出家した因縁が明かされていた。それによると、彼女が岡本かの子の生涯と文学を『かの子繚乱』という小説に書いたため、『かの子の永遠の「いのち」のとりこになり、五十一歳の秋、大乗仏教にすがってついに出家得度した』とあった。岡本かの子は『仏教人生読本』の中でも「永遠のいのち」について述べている。

紅葉(長岡天満宮)②