無量寿の海へ

 

 

私たちは浪である。

大生命は海水である。

浪を離れて水なく、

水を離れて浪はない。

・・・

この宇宙の大生命海が無限無量ならば、

その浪である私たちの本体も無限無量である。

 

出没生死に見えるのは、

形の上の“うねり”だけである。

 

故に、私たちが形の上の変化、

すなわち、生れて、育って、成長して、死ぬ、

これだけに目をつけて、

本体の大生命との続きを認めなければ、

五、七十年の一生です。

 

大生命と自分と、一体なるところを認め、

五、七十年の一生は仮りの姿と見れば、

本当の寿命は無限無量寿である。

 

仏教のぎりぎり決着の話は実はこれだけであります。

この外に何も別な考え方も理論もありません。

 

岡本かの子『仏教人生読本』

 

*たとえば、阿弥陀仏とは「無量寿仏」つまり寿命が無量である仏さま、という意味です。

もとの言葉で「アミターユス」といい、「アミタ」は「無量」の意味で、わたしたちは通常この「アミタ」(漢訳で阿弥陀)を「阿弥陀さま」といっているのです。

阿弥陀にはもう一つの名があって「アミターバ」といいます。これは「無量光仏あるいは無碍光仏」と訳されていて、光を世界中に行きわたらせられる有難い仏さまでもあるわけです。このように時間的にも空間的にも無限なのが阿弥陀さまなのです。

 

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