海に関する断片的回想(令和4年2月9日)

 

カール・ヤスパース(北野老師が共訳)

 

 

海のことついて書いてみたいと思います。

 

(1)小学生時代の思い出。

まだ周りが田畑で囲まれていた

大阪の郊外で育った私は、

幼いころから海をしらずに育ちました。

 

最初に海を眼の前にしたのは、

母方の祖母の住んでいた四国の田舎に、

家族みんなで大阪港から船に乗って帰る時のことでした。

 

船が出航する前のつかの間の時間を利用して、

父が私を桟橋に連れ出してくれました。

 

海は夜の闇にかくれていましたが、

鼻を衝く汐の香、岸壁を打つ波の音は、

私が生れて初めて経験する「海」でした。

 

祖母は愛媛県の八幡浜近くに住んでいました。

家の側を川が流れていましたが、

河口がすぐ近くでしたので、見ようと思えばいつでも、

そこから湾に囲まれた海を眺めることができました。

 

祖母の家の裏の小道を

カニが悠然と横切ったりしていることなども、

少年の私には大変珍しい光景として印象に残っています。

 

うみは ひろいな おおきいな

つきは のぼるし ひがしずむ(童謡・唱歌)

 

(2)中学生時代の思い出。

中学一、二年の頃だったと思います。

ぼんやりと自分の将来の進路について考えていました。

 

と言っても、何か強い希望があったわけでもありません。

そんな中で行く行くは船乗りになってみたいと思うようになりました。

 

なぜそのように思うようになったのか、はっきりはしないのですが、

今から考えると、先の少年期の「海」体験が

そのような思いをおこさせたのかもしれません。

 

この話は結局、

近視だった私は航海士にはなることができない

ということが判明してあっけなく潰えてしまいました。

 

うみにおふねを うかばせて

いってみたいな よそのくに(同上)

 

(3)哲学者たちの海。

その後の私の人生行路は決して順風満帆というわけではありませんでした。

反対に大波を食らって私の船は転覆してしまいました。

生まれて初めする経験でした。

 

哲学への進路変更は

転覆したその船を復元するための大航海でした。

その途中、私は二人の哲学者に出会いました。

それはドイツのカール・ヤスパースと日本の西田幾多郎でした。

 

興味深いことに二人とも、

幼いころから毎日海を見ながら生活した経験をもっていました。

そしてそこから得られた海の無限性とその変化の多様性への眼差しが、

やがて彼らが自らの哲学を構想してゆく際のモデルになりました。

 

私はこのことについて1986年に

「ヤスパースと西田幾多郎――海あるいは有限無限」と題して

ある本の中で発表しました。

 

同じような観点から、しかし西田哲学に焦点を合わせて、

1998年には上田閑照先生が「世界と海」という一文を草されました。

現代を代表する二人の哲学者が「海」を原風景とした

「海の哲学者」であったことは面白い偶然だと思います。

 

海は無限なものの具体的な現前である。波浪は無限である。」(カール・ヤスパース)

海をながめるのも無限に深い意味のあるものである。余は唯無限に遠い海のうねりを眺めるだけにて飽くことを知らない。」(西田幾多郎)

 

(4)仏教徒の海。

「海の哲学」は転覆した私の船を復元修復することに役に立ちました。

しかしながら残念なことに完全な復元には到りませんでした。

哲学では理論が主で事実性が希薄であることが

その大きな理由ではなかったかと思います。

 

そこで私はやがて私の人生の舵を仏教の海へと切ることになりました。

それも学問として仏教を学ぶのではなく、

実践として仏教を行ずる禅修行の海に飛び込んだのでした。

 

そうしてその行を通じて

私の生と死が「無から無へ」であるということを

確かなこととすることができるようになりました。

 

そのことによって私の船はやっともとの姿に復元しました。

これでどこまでも安全に航海することができます。

 

ただ「無から無へ」ということは余りにも抽象的なので、

何か具体的なシンボルでそのことを表現できればと考えています。

そうすれば「無から無へ」ということが

もっと身近に感得できるようになるはずです。

 

その意味で岡本かの子の「無量寿の海へ」は

「無から無へ」の運動が「海から海へ」という

具体的表現にシンボライズされており、

私の安堵感をいっそう確かなものにしてくれるのです。

 

春の海ひねもすのたりのたりかな(蕪村)

 

*「カール・ヤスパースと西田幾多郎――海あるいは有限無限」、『カール・ヤスパース』(行路社、1986.)所収。

*「世界と海」、『上田閑照集』第一巻(岩波書店、2001.)所収。

*この日記と合わせて、大雲好日日記100「観音経を唱える」も参看してみてください。

 

 

 

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