卒業生の贈り物(令和4年3月9日)
3月の生け花(長岡禅塾)
電車の中やプラットホームで、
晴れ着姿の若い女性の姿をちらほら見かけるようになりました。
こんなとき、ああ、今年もまた大学生たちの卒業式がやってきたのだなぁと、
かつて大学の教員をしていた私は当時のことを感慨深く思いだしたりします。
卒業式の当日こんなことがありました。
式が終わってから研究室で一休みしていたところ、
ドアーをノックして男子のゼミ生二人が挨拶にやってきました。
卒業後のことなど一頻りいろいろの話をしてから、
帰り際に二人の学生は私に「いろいろお世話になったお礼の印に」と言って、
恥かしそうにして何か細長い包みものを手渡してくれました。
彼らが部屋を出て行った後、
包みの中のものを見てみようと思い、
何重にも丁寧に包んだ包装紙を
何が出てくるのだろうかと思いながら開いていきました。
出てきたものは何と長さ40センチ、幅1センチほどの孫の手でした。
卒業に際し謝恩の品として、
それまで学生たちがいろいろのものを贈ってくれましたが、
大抵は寄せ書き、文具品などが多かったように思います。
卒業生が贈ってくれた孫の手
そんなふうでしたので、
孫の手だと分かったときの私の気持は、
ちょっと表現しにくいのですが、
虚を突かれたような何か変なものでした。
あれから20年以上の年月が経ちました。
それでも今も鉛筆などと一緒にあの孫の手は、
私の机の筆立てのなかに立てかけてあって、
ときどき背中を掻くのに重宝しています。
ちなみにその孫の手は竹製で、
全体にこげ茶の漆が施してあり、
にぎりのところが籐巻きされた、
なかなか手の込んだものです。
あれからあの二人の学生とは一回会ったきりで、
その後、一度も会っていないのですが、
いまごろどうしているだろう?と思ったりしています。
別件:3月3日の雛祭りの日に久しぶりにA.S.さんからメールをもらいました。出家得度して僧堂に掛搭するとの知らせでした。随分迷った上での決断だったのではないかと想像します。
女性でしかも年齢もいっているので、苦労も多いことでしょうが、やり通してくれることを祈っています。
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同。
編集注:ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず。
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。
自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
劉廷芝「代悲白頭翁」