黙雷禅話(令和4年4月20日)

 

「牡丹が咲き始めました」(長岡禅塾)

 

〇水は夜も寝ずに流れる。水の流れるごとく学問をするならば早くできる。何の仕事でもそのようでるなら速成する。坐禅もまたしかり。

*正念を相続せよ。

 

〇ダラダラの慢性坐禅はついに駄目である。

 

〇参禅学道は死ぬか活きるかの真剣勝負をやらねば何の役にも立つものではない。

*集中せよ。

 

〇坐禅において必要欠くべからざるものは「誠を尽くすこと(尽誠)」である。

*「心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らむ」(菅原道真)

 

〇求道の本意は即今如何と直入するにある。

*この今の事物に集中せよ。

 

〇禅道の徒は事物を二に見る差別見を排除するのが入道の要門である。

*自分と物を二に分けずに、いつも物と一つに成ることが肝要。

 

〇坐禅は無心を貴ぶ。無心は有心である。即ち有心上の無心が禅者のいう無心である。

*有るものに即して無心(空)に成ることが禅者のいう無心。

 

〇坐禅は内心の黴菌を駆除する活法である。心頭一塵を止めず、日に日に新たに、また日に新たにして磨いて磨いて磨いて磨きあげるのが目的である。

*内心に思惑が湧いたら、そのつどその垢を取り除いて行け。

 

〇元来、何事をなすにも「度衆生」を根拠にせねば事業の精神は確立しない。(中略)政事をするにも商業をするにも書物を読むにも是非、度衆生が中心とならなければならない。

*「度衆生(衆生を済度する)」は大乗精神の根本である。

 

*以上は『黙雷禅話』(建仁寺専門僧堂、1979)から禅修行を志す初心者向けに抜粋したものである。そのために文章の一部を少し書き改めた個所もある。*は大雲の評語。

*黙雷:黙雷宗淵(1854-1930)、明治1251年、建仁寺管長に就く。

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