隻手の声(令和4年4月27日)
白牡丹(長岡禅塾)
はじめて師家について参禅しようとする人に与えられる公案のひとつに、
「隻手音声(せきしゅ・おんじょう)」というのがあります。
白隠禅師が考案されたものです。
師家の室内に入って、
「公案をいただきに参りました」と言うと、
師家は徐に右手を前に差し出して、
「隻手に何の声かある・・・さぁ、この声を聞いて来い!」
とただそれだけを言って、鈴を振って追い返すでしょう。
たいてい参禅者はそれだけでは何のことか分からず、
キツネにでもつままれたような気持で帰って行くことになります。
そういう人のために、
白隠禅師はその公案について解説をしていますので、
ここにそれを参考までに載せておくことにします(『藪柑子』)。
「思うに隻手の声とはどんなことかというならば、
ただ今、両手を合わせて打つ時は丁々として打ちあう声がする。
ただ片手をあげて打つ時は、
音もなく、香りもない。
(中略)
これはまったく耳で聞こえるのではない。
思慮分別を交えることなく、
あらゆる感覚を離れて、
行住坐臥の上において手ぬかりなく参究して行けば、
道理が尽き、
言葉が究まる処において、
忽然として生死の根源をたち切り、
無明の巣窟を斬り破り、
大鳳が金網を離れ、
鶴が籠を捨てるほどの大安心を得ることができるのである。」(鎌田茂雄 訳)
肝心なことは、
「思慮分別を交えることなく、
あらゆる感覚を離れて、
行住坐臥の上において手ぬかりなく(隻手の声を)参究して行く」ことです。
この方法以外に「隻手の声」を聞くことはできません。
この点に重々留意してください。
もし、そのようにして「隻手の声」を本当に聞くことができたら、
「生死流転の中に埋没している妄想の世界を一転回させ」、
悟りの世界に入ることができるでしょう。