禅僧たちと法然 禅と念仏(11)(令和4年5月18日)
藤の花(長岡禅塾近辺)
「禅と念仏」というテーマに関して少しずつ見てきて、
ちょっと面白いことに気づきました。
それは禅僧たちが念仏宗の中では
とくに法然に親近性を感じていたということです。
一休禅師などはわざわざ「賛法然上人」という漢詩を作って、
法然を「活如来」として景仰しています。
また、その中で法然の「一枚起請文」をとりあげて、
「最も奇なる哉(最もすばらしいことよ)」と讃嘆してもいます。
「一枚起請文」のなかで法然は、
「一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無知のともがらにおなじくして、
知者のふるまひをせずして」、ただひたすら念仏をすべし、と教えています。
知者の振舞いをせず、「愚鈍の身となって」
「ただひたすら」その時の事に成り切って行くことは、
念仏のみならず坐禅の行でも大切なことですので、
一休はとくにそこ点に注目して、あのように称賛したのだと思います。
*鈴木大拙も「一枚起請文」を「日本的霊性的自覚の最初の表現」と高く評価しています(『日本的霊性』)。
一休禅師と同様に正三道人も、念仏の行者法然を慕っていたように思えます。
正三は最澄、空海、道元などを批判しましたが、
法然に関してはそのようなことはありませんでした。
ひとつ例を挙げておきましょう。
正三は悟りを目当てにした修行は誤りであるとし、
それよりも悟りにとらわれず、つねに勇猛に修行してゆくべきだと主張しました。
こういう意味で、「悟らぬ悟り」が正三の立場でした。
正三はその自己の立場の正当性を明かにするために、
「法然などの念仏往生も、悟らぬ悟也」と、
尊敬する法然を引き合いにだしています(『驢鞍橋』)。
この点についてちょっと説明しておきますと、
法然において往生は死後に約束されたことで、
現世では往生間違いなしと安心決定することが大切だと考えました。
そういう意味で法然の念仏往生も「悟らぬ悟り」になるというわけです。
白隠は、「王侯から庶民に至るまで生身の如来のように仰ぎ貴ばれた法然上人」、
「神さまや冥界の仏も恭敬し尊重したほどのきわめて尊い上人」と述べて、
法然のことを絶賛しています(『遠羅天釜続集』鎌田茂雄訳)。
また疑団が悟りに進むための翼であるとした上で、
法然上人に少しの疑団さえあったなら、
「たちまちに大事を悟り、往生を決定することができたはずである」と、
念仏では疑団の起こりにくいことを残念がっています。
といっても、白隠が念仏を否定していたわけではありません。
むしろ念仏の価値を十分に認めていました。
ただ、その場合でも、禅は禅、念仏は念仏と両者をはっきり区別し、
禅と念仏を双修するようなことを大変きらいました。
その点は正三と違うところです。
以上、禅僧たちが法然に対して好意的であったことを見てきました。
しかし、親鸞に対してそのような風潮が見られないのは何故なのでしょうか。
それは親鸞においては念仏が弥陀の回向によるものと、
他力的に考えられていて、
そこに法然の場合のような自力的要素がなかったので、
親鸞(の念仏)に共感しにくかったのだと考えられます。