実朝(その三)(令和4年6月22日)

 

沙羅双樹の花(禅塾近辺)

 

わたしの書棚になぜか小林秀雄の評論が数冊ならんでいる。

それでプーチンのウクライナ侵攻で世界中が大騒ぎになっている折から、

ロシアのことが何かわかりはしないだろうかと考えて、

小林の「ドストエフスキイの生活」を読んでみた。

 

そこから現在のロシアの底流ともなっている

土着的なもの、民族的なものを

少し学ぶことができたような気がした。

そんな流れのなかで小林の「實朝」に出合ったのである。

 

それは『無常といふ事』(角川文庫)と題された本の中の一篇として、

「ドストエフスキイの生活」を含む他の五つの小論と

いっしょに編まれていたのだった。

その本には買った時のレシートが挟まっていて、

それによると購買日は1968年5月5日、書店は「野村呼文堂」となっている。

 

『無常といふ事』(角川文庫)

 

そうするとそれは私の二十五歳のときで、

精神的にもっとも苦しい日々を過ごしていた頃である。

小林の『無常といふ事』を読んで

窮状打開のヒントのようなものを得ようとしたのであろうか。

その頃に里見弴の『多情仏心』なども読んだことを覚えている。

 

野村呼文堂は現在も寝屋川市内に店舗を構えているようであるが、

当時、私は気分転換のために

親元を離れて寝屋川で一人下宿生活をしていたので、

そのときにその文庫本を買い求めたのだと思う。

 

けれどもその本文中に

付箋をつけたり線引きした個所がまったく見当たらないところからすると、

当時のわたしにはその本が十分に理解できなかったようだ。

それで今回は少し入念に読んでみることにした。

 

読んでみて思ったのは小林秀雄の文芸評論「實朝」も

それ自体がひとつの立派な文学作品になっているということだ。

解説者である河盛好蔵の言葉をかりれば、

「リズムが明確で、感覚が冴えていて、知性の強い筋金がしっかりと入っている」。

 

それだけに含蓄も深く、何度も読みかえすことによって初めて

その深部に至り得るような作品である。

 

たとえば、

実朝の「散り残る 岸の山吹 春ふかみ 此ひと枝を あはれといはなむ」について

小林は「完全に自足した純潔な少年の心」を思うといい、

ついでに次のようなことを言っている。

 

「平凡な処世にも適さぬ様な持って生まれた無垢な心が、物心ともに紛糾を極めた乱世の間に、実朝を引き摺って行く様を僕は思い描く。彼には、凡そ武装というものがない。歴史の溷濁(こんだく)した陰気な風が、はだけた儘の彼の胸を吹き抜ける。(中略)奇怪な世相が、彼を苦しめ不安にし、不安は、彼が持って生まれた精妙な音楽のうちに、すばやく捕らえられ、地獄の火の上に、涼しげにたゆたう。」

 

これが小林の描く実朝の心の姿であり、また歌の姿である。

しかしこれはもはや言葉が音符となった音楽である。

この音楽が実朝の歌魂を奏でようとする。

小林の「実朝」は万事このような調子なのである。

 

この音楽は決して長調にならない。

一貫して短調の調べを奏でている。

実朝の人生そのものが悲哀にみちたものであったからである。

 

頼朝の死後、幕府は陰謀と暗殺の歴史を繰り返す。

頼家が殺されてからというもの、

つぎは自分が殺められるかもしれないという、

そういう運命の必然を実朝はいっそう強く感じていたかもしれない。

(承元元年、1219年、実朝28歳のときに、この事は現実のものとなる)。

 

「実朝の歌は悲しい」「何とは知れぬ哀感がある」と小林はいう。

それは実朝が背負った運命のゆえに、

憂悶のついに晴れる期がなかったからである。

 

実朝はそういう悲劇的な人生のうちにうち過ぎて行く一つ一つの事象を、

彼の類まれな天稟によって詩の形に掬いとっていったのである。

それが、彼の真率で切実な秀歌の独特な悲調をなしている。

 

「彼の歌は、彼の天稟の開放に他ならず、言葉は、殆ど後からそれに追い縋る様に見える。その叫びは、悲しいが、訴えるのでもなく求めるのでもない。感傷もなく、邪念も交えず透き通っている」。

 

そういう意味で、小林は、

実朝の歌における万葉集との関係について

常識になっているような安易な理解を斥けている。

真に万葉的であるとは万葉を模倣するとこにではなく、

その純真なところに求められなければならないからである(西田幾多郎)。

 

おわりに実朝の宗教性について考察しておこう。

・神といひ 佛といふも 世の中の 人のこころの ほかのものかは

・塔をくみ 堂をつくるも 人のなげき 懺悔にまさる 功徳やはある

・ほのほのみ 虚空にみてる 阿鼻地獄 行方もなしと いふもはかなし

・大日の 種子よりいでて さまや形 さまやぎやう又 尊形となる

 

最初の歌について小林は、

「無技巧、率直、低徊するところなし」と評しているが、

そういう「純真な眼差し」や「深い無邪気さ」」は

小林が実朝の歌を鑑賞するときの眼のつけどころであった。

 

だから宗教的な事柄を詠っているからといっても、

小林はそこにいわゆる宗教的なものをみるのではなく、

そういう手垢によごれたものを越えて、

宗教を宗教たらしめている根源に眼を凝らし、

そこから聞こえてくるものを聴こうとする。

しかし、それが本当の宗教的霊性というものであろう。

 

*本文は旧漢字、旧仮名遣いになっているが一部を現在の用法に改めた。

*文中の実朝の歌の意味については『金槐和歌集』(新潮日本古典集成)を参照。

 

 

 

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