布施について(令和4年8月10日)
ノウゼンカズラ(禅塾近辺)
布施というと、
すぐにお金のことと結びつけて考えられがちですが、
布施は本来、献金に限られたことではありません。
仏教には布施に関して「無財の七施」という考え方があります。
それは何であるかと言いますと、
①眼施(優しい眼で人に接する)、
②和顔施(穏やかな顔で人に対する)、
③愛語施(思いやりのこもった言葉をつかう)、
④身施(体をつかって奉仕する)、
⑤心施(心底から共に喜び、共に悲しむ)、
⑥床座施(自分の座を他に譲る)、
⑦房舎施(風雨をしのぐ場所を提供する)、の七つです。
布施とはもともと何にも曇らされていない無の心で、
なにかを他人に施す無償の行為をいいますので、
だれが、だれに、なにを、どれだけ、
ということは最初から一切問題になりません。
*布施行という言葉は英語のボランティアという言葉と似ていますが、
布施行は「無の心(誠)」からという点に最大の特色があります。
そういうことで、
なにを施してもよいわけですから、
それが金銭に限られないことがわかります。
心だに誠の道に叶いなば金積まずとも神や守らん
たとえば、いつも笑顔で他者に接することのできる人は、
他の人に微笑という布施をしたことになりますし(和顔施)、
自分の占めている場所(座席、地位)を惜しみなく
他の人に譲ることのできる人は、
床座施を実践する人だと言うことできます。
長岡禅塾ではこの夏、
数人の方からうれしいお布施の申し出をうけました。
どういうお布施かと申しますと、
それは草抜きという作務のお布施(身施)です。
現在、禅塾は人手がたりなく、
雑草の生い茂りやすいこのシーズンは
猫の手でも借りたいくらいですので、
大変有難いお布施だと喜んでいるところです。
大地より尽きぬ命の草を取る(新美英紀)