鷗外没後100年 (令和4年8月31日)

 

絵はがき(森鷗外の旧居/津和野)

 

今年は森鷗外が没して100年になるそうだ。

そのことに因んで7月14日の「天声人語」は

鷗外に関してこんな話を伝えていた。

 

明治32 年38歳のとき、鷗外は近衛師団軍医部長から

第十二師団軍医部長として九州小倉に転勤を命じられた。

これは明らかに上層部の企みによる「左遷」を意味した。

こうして、鷗外は失意のどん底に落とされた。

 

ちょうどその頃に禅僧玉水俊虠(しゅんこ)との出会いがあった。

鷗外はこの僧の「学徳があるのに荒れ寺に住み、俗事にとらわれない」

生き方に刺激をうけ心境にも変化が生じたという。

鷗外は後に「二人の友」という小説で、その僧のことに触れている。

 

その記事を見て私は俄然鷗外を読んでみたくなった。

そこでさっそく本箱から鷗外ものを探し出してみた。

すると全部で文庫本7冊がみつかった。

 

私は鷗外を特別愛読してきたわけではないのだが、

それでも7冊も手元にあったのには我ながら少々驚いた。

 

そのうちの一冊(『ウィタ・セクスアリス』)に

2葉の綺麗な絵葉書が挟まれていた。

 

1枚は森鷗外の旧居、もう1枚は西周(にし・あまね、哲学者)

の旧居のカラー写真である。もう30年ほど前のことだと思うが、

津和野に旅したときに買い求めたものに違いない。

 

森も西も津和野の出身で旧居も近く、

森が上京してきた時に西の家においてもらっていたことが

『ウィタ・セクスアリス』に出ている。

(本の中では「東先生という方の内に置いて貰った」となっている)。

 

少し横道にそれたが、今般、

上のような事情で手元にある鷗外もの(小説・随筆5冊、評論2冊)

から面白そうなものを選んで走り読みしてみた。

 

「天声人語」の記事から

禅が鷗外の人生に及ぼした影響などを窺おうとしたが、

結局のところ、岡崎義惠(「鷗外と諦念」)も評しているように、

鷗外自身は「それ程出世間的・宗教的にはなりえなかった」人であったと思う。

 

漱石とともに明治の二大文豪と称せられた鷗外ではあるが、

その生き方に私は少なからず俗臭を感じてしまうのである。

 

しかしだからと言って、鷗外の文章中に私の眼から見て

魅力的な人物がまったく描き込まれていないわけではない。

小説『カズイスチカ』に登場する花房医学士(鷗外)の父(開業医)は、

そういう人物のひとりである。

*「カズイスチカ」(ラテン語casuistica)、「患者についての臨床記録」。

 

花房は「終始何か更にしたい事、する筈の事があるように思っている。

しかしそのしたい事、する筈の事はなんだか分からない」というふうで、

何をしていても、今している事と真剣に向き合うということがない。

 

これに対して、「翁(父)は病人を見ている間は、

全幅の精神を以て病人を見ている。

そしてその病人が軽かろうが重かろうが、

鼻風だろうが必死の病だろうが、

同じ態度でこれに対している。

盆栽を翫(もてあそ)んでいる時もその通りである。

茶を啜(すす)っいる時もその通りである」。

 

そのうち、花房は、「熊沢蕃山の書いたものを読んでいると、

志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、

平生顔を洗ったり髪を梳(くしけず)ったりするのも道を行うのである

といふ意味の事が書いてあった。花房はそれを見て、

父の平生を考えて見ると、自分が遠い向うに或物を臨んで、

目前の事を好い加減に済ませて行くのに反して、

父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注していることに気が付いた。

宿場の医者たるに安んじている父のrésignationの態度が、

有道者の面目に近いということが、朧気ながら見えて来た。

そしてその時から遽(にわか)に父を尊敬する念を生じた」。

 

この小説で見るかぎり、若き鷗外(花房医学士)は

理想主義者であり観念論者である。

これに対して父の方は即今に生きる、

私のいわゆる「一所懸命」の人、禅的な人間である。

 

父親のそういった点に私は魅力を感じるのである。

 

ここで文中に出てきた“résignation”について説明しておきたい。

このフランス語は「諦め、諦観、忍従」の意味である。

この言葉は鷗外の立場を理解する上で重要である。

と言うのは、鷗外はつぎのように述べているからである。

 

「私の心持を何という詞で言いあらわしたら好いかというと、

Resignationだといって宜しいようです。私は文芸ばかりではない。

世の中のどの方面においてもこの心持でいる。」(「予が立場」)

 

そこではrésignationがドイツ語Resignationで表記されているが,

意味は変わらないだろうから問題はないと思う。

 

ともかく「諦め」「断念」「放棄」といった態度――

その限りそれは消極的態度である――が

鷗外の処世上のポリシーだとの表明である。

 

そしてこのポリシーが実際上においては種々のニュナンスを帯びて

鷗外(および小説の主人公)の人生を彩っているように見える。

 

『カズイスチカ』に描かれている赤房医学士の父の場合はその一例である。

ただその場合のrésignationは禅の「放下」に近く、他の場合と違って、

積極的な意味を持っているように思う。

 

すなわち、単に現実から退歩することで終わるのではなく、

いわば退歩してからさらに反転し現実そのものに歩を進め、

そのことに積極的にかかわろうとするのである。

「平常是道」である。

 

鴎外の作品のなかにもう一編、

「空車(むなぐるま)という題の、

私に禅味を感じさせる(とくにその最終の個所)優れた随筆がある。

しかし、これについてはそのことだけを述べてこの日記を終ろうと思う。

 

<出典一覧>

・「二人の友」「カズイスチカ」(『山椒大夫・高瀬舟』新潮文庫)。

・『ウィタ・セクスアリス』(岩波文庫)。

・「予が立場」「空車」(『鷗外随筆集』岩波文庫)。

<参考にした本>

・吉野俊彦『あきらめの哲学――森鷗外』(PHP文庫)。

 

*折しも鴎外宛ての各界書簡400点がまとまった形で見つかったということが報じられました(8月5日、朝日新聞)。差出人は夏目漱石や与謝野晶子、石川啄木、岡倉天心らそうそうたる面々。年度内にそれが書簡集として出版されるそうです。ぜひとも一読してみたいものです。

 

 

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