宗教と生活(令和4年9月28日)

 

彼岸花(長岡禅塾)

 

愚直にも猫の額に彼岸花(白戸和夫)

 

禅堂の庭の片隅にも彼岸花が咲いた。

秋分の頃になると決まって紅葉の大樹の根もとに花を咲かせ、

秋の到来を告げてくれる。「愚直にも」という言葉がぴったりだ。

 

さて前回の日記で柳宗悦の評論「寂の美」中の文章を取りあげたので、

今回も同じ柳の文章から「宗教と生活」と題された評論の一節を選んで

紹介してみたい。

 

宗教上の根本問題は我とは何かということに帰ります。

そうして「我」というからには

我に非(あらざ)る他人に対立するものであるのは自明であります」。

つまり自他の二に分れ、その二が相対し、

これが抗争の形を常に取るに至ります。

何故なら「我」を立てることは「他」を排すること、

嫌うことを必然的に招くからであります。

妬みも罵りも忿(いか)りも、

凡て自他の二の間に行われる争闘であります。

争闘は不安をかもし不幸を来します。

そうしてそれは凡て自己への執着が、原因であります

 

それで宗教的生活とは、

如何にして自己への執着から離れることが出来るか、

その修行であるともいえましょう

 

仏教では始めから、自他の区別の如きは妄想に過ぎず、

空なるものだと説くのであります

 

吾々が躓(つま)ずくのは、

凡てを自他の二に分けて見るからによります。

こういう分別は、元来はその存在を持たないもので、

人間の勝手な作為によると分れば、

何か心に明るくなるものがありましょう。

元来自他不二であったということが分れば、

もう自にあって自に囚われずに終ります。

こういう生活をこそ宗教的生活と呼ぶのであります

 

*「宗教と生活」は『柳宗悦 妙好人論集』(岩波文庫)に収められている。

引用した個所は181~182頁、および184頁です。

 

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