わが青春の愛読書(令和4年10月19日)

 

長岡禅塾近くの散歩道

 

古戦場 名のみ残して 暮れなずむ 小手指原に マンションの影(大舘右喜)

*小手指原(こてしがはら、埼玉県所沢市)は1333年に新田義貞と鎌倉幕府が戦った古戦場として知られている。

 

国木田独歩は随筆「武蔵野」の冒頭で、

武蔵野の跡のわずかに残っているところは、

小手指原の古戦場あたりではないかと書いている。

明治30(1897)年ころの話である。

 

ところが、それから125年ほど経た現在、

その周辺にマンションが建ち、

古戦場の面影がすっかりなくなってしまったと、

上の歌は詠うのである。

 

歌中の「暮れなずむ」や「影」という言葉は、

歴史の忘却されてゆく様も暗示しているようで物哀しい。

 

独歩の「武蔵野」に戻ろう。

実を言うと「武蔵野」は私の青春の愛読書であった。

今も手元にその時の本が残っている。

 

国木田独歩『武蔵野』(角川文庫、1958年発行)

 

扉のページには鉛筆で「1959.3.25」と記してから、

私の16歳(高1)のときに読んだことが判明する。

 

ちなみに扉のページにはさらに

「北野」の印の他に「00003」の印字が見てとれる。

当時の私の購入した三冊目の本であることを表示している。

残念ながら一冊目と二冊目が何であったかはもう分からない。

 

さっそく「武蔵野」を繙いて、

むかし愛唱したその一節をここの引用しおくことにする。

 

武蔵野に散歩する人は道に迷ふことを苦にしてはならない。

どの道でも足の向く方へゆけば必ず其処に見るべく、聞くべく、

感ずべき獲物がある。

されば君若し、一の小径を往き、

忽ち三条に分るヽ処に出たなら困るに及ばない。

君の杖をたてヽ其倒れた方に往き玉へ。

或は其路が君を小さな林に導く。」

 

若し君、何かの必要で道を尋ねたく思はゞ、

畑の真中に居る農夫にきヽ玉へ。

農夫が四十以上の人であつたら、大声をあげて尋ねて見玉へ、

驚いて此方を向き、大声で教えて呉れるだらう。

 

同じ路を引きかへして帰るは愚である。

迷つた処が今の武蔵野に過ぎない。

まさかに行暮れて困る事もあるまい。

帰りも矢張凡その方角をきめて、別の路を当てもなく歩くが妙。

さうすると思はず落日の美観をうる事がある。

 

日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、

武蔵野暮れむとする、寒さが身に沁む、

其時は路をいそぎ玉へ、顧みて思はず新月が枯林の梢の横に

寒い光を放てゐるのを見る。

 

こうして書き出してみると、

青春時代の私の気分が懐かしく思い出されるのであるが、

そこに流れる詩情はもはや現在の私の気持ではない。

 

そう言えばその頃は、

確か島崎藤村の「千曲川旅情の歌」なども愛唱したように覚えている。

人世の悲哀をまだ知らずにいた

我が青春時代の淡い思い出の一コマである。

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