子規と仏教(令和4年12月14日)
長岡公園グランド
わたしは正岡子規にだまされていたのだろうか。
いや、自分だけではない。
ほとんどの評論家たちも、
また子規にだまされたのであろうか。
川口勇氏の『子規と日蓮—ひとつの法華経受容史』
(東方出版、2021)を読んで、最初そんな感想をもった。
わたしはかつてこの日記の146で、
「子規は生涯、宗教とは無縁の人であった」と、はっきり書いた。
(「(続)人間 正岡子規」2021年9月29日投稿)
それは子規の「行く秋や我は神なく仏なし」の句や、
「宗教を信ぜぬ余には宗教も何の役にも立たない」という
子規自身の言葉をそのまま受けとったことによる。
このことはわたしだけのことではなさそうだ。
これまで多くの子規論が世にでているが、
ほとんどの論者が上記の子規の言葉を根拠にして、
子規を無宗教家とみなしてきたのである。
(上掲書、161-163頁)
しかし川口氏は子規が死の迫った枕辺に柴又の帝釈天の掛図を
飾って病気平癒を願っていたこと、
また死の半月前に、
法然、空海、親鸞、最澄、日蓮を賛した句を残したことをまず挙げて、
子規が決して無宗教家でなかったことを主張されるのである。
川口氏によれば、子規が神仏否定、宗教不信の言葉を吐いているのは、
とくに既成仏教について子規が述べていることであるが、
その「腐敗の空気」に嗟嘆していたからである。
そのために「子規はここにきて仏教に背を向け、
自ら無宗教家というレッテルを自ら貼り付けたのではないか」。
川口氏はそう推論されている。
(上掲書、154~155頁)
川口氏は今回、子規の書き残した各種資料の綿密な研究を通して、
子規が若い頃から死の直前まで、
仏教に並々ならない関心を有していたこと、
また、このことは私も指摘しておいたことであるが、
とくに日蓮を厚く信奉していた様子を明らかにされた。
しかし、それでも私には子規と仏教の関係について、
なお多少の疑念が残ることを禁じ得ない。
その疑念は一体どこから来るのかと言えば、
川口氏のこの度の研究書を読むかぎり、
子規の仏教へのアプローチのしかたが、
客観的哲学的で、主体的信仰的でない点にある。
川口氏は例えば子規の経典観について、
そこには「徹底した客観的立場が見られ」
「信仰的な立場から経典に接近するのではない」と考察している。
(上掲書、151頁)
しかし経典には本来、信仰の立場から、主客を超えた
禅定(三昧)の境地が披瀝されているのであって、
決して哲学・科学に代表されるような客観的合理的な世界が
叙述されているのではないのである。
子規にはこの他にも、
分別によって仏教を理解しようとしているところが見られ、
この点において子規は仏教に関心を有してはいたが、
真の仏教理解者であったかどうかには、わたしはやはり疑問を感じている。
しかし、川口氏が指摘されたように、
子規が生涯仏教に関心を持ちつづけ、
しかも何らかの意味で超越的なものを信奉していたとするなら、
子規をむやみに無宗教者であったと即断してしまうことには躊躇される。。
今回、子規と仏教の関係について
川口氏から多くのことを教えていただいた。
またその論考についてさらに詳しく
検討してみなければならない個所もないではないが、
いまはとりあえず、「子規は生涯、宗教とは無縁の人であった」と前に書いたのは、
言い過ぎであったと思うのである。