日常禅とは何か 日常禅(その二)(令和5年1月18日)
「莫妄想」(初代塾長 梅谷香洲老師)
*「莫妄想(まくもうぞう)」は「妄想すること莫れ」と読み、
わたしたちに三昧の生活をすすめる標語となっています。
禅と言えば大変難しいもののように思われがちですが、
決してそうではありません。
誤解されると困るのですが、
禅はある面で日常の生活そのものだといえます。
どういうことかと言いますと、
私たちが普段「思慮分別を加えることなく」
生活しているそのことが実は禅なのです。
だから禅は日常の生活を離れたものなのではなく、
私たちの日常の生活に即したものなのです。
禅は日常生活そのものです。
そういう禅の特徴に注目して禅は日常禅と呼ばれます。
ある時、趙州が南泉に質問しました。
「道とはどういうものでしょうか」。
すると南泉は、
「平常心が道である(平常心是道)」と答えました。
平常心とは日常の心、立ったり坐ったりする心のことです。
道とはこの場合、禅の道と考えてよいでしょう。
南泉は普段行っている生活が、
そのまま禅であるのだと弟子の趙州に教えたのでした。
ここに禅とは日常禅であるという考え方がみられのですが、
こうした考え方は何も南泉にはじまったことではありません。
実は南泉の師匠である馬祖(709-788)が「平常心是道」ということを言っていて、
馬祖のこの考え方がその後、広く臨済宗の中で受け継がれて行くのです。