大雅窟遺風(二)
<善知識>
現代の知性を通して仏教を行じ、そこから活きた仏教の説かれることを期待していた私にとって、眼の覚めるような、そして私の精神生活を決定的に覆してしまった一人の禅僧がありました。そのお方は恩師森本省念老師でございます。(『悟りの構造』)
知と徳によって不安にさいなまされている人を究極的な安心に導き得るような人を善知識という。大雅窟にとって森本老師がまさにそのような人であった。
大雅窟は提唱中にしばしば「安心(あんじん)」という言葉を口にされた。あるいはまた、「そんなことでは落ち着けない」と言うふうに、心の「落ち着き」を問題にされた。大雅窟は長い修行を経て、ついに森本老師の膝下において大安心の法を手に入れられるようになったことがこの言葉から分かるのである。
大雅窟は「自分は森本老師によって救われた」と、どこかで述べておられたように思う。