生死(しょうじ)―その④(令和5年8月5日)

 

桔梗(長岡禅塾近辺)

 

 

昨年(令和4年)10月に『死は存在しない』という本が出版されました。

こういうタイトルの本は得てして眉唾物が多いので、

最初のうちは打っちゃっておきました。

 

ところが日が経つにつれて、

その本のことが何だか気になりはじめ、

ついに購入して読み始めたのです。

 

その本の著者は原子力工学の博士で、

国際的にも活躍している科学者です。

 

その著者が死後の世界の存在することを、

現代科学の最先端、量子物理学の世界で論じられている

一つの仮説にもとづいて説明しようとしているのです。

 

その仮説は「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」と呼ばれます。

著者によれば、それは、

 

この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に

ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、

この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が

記録」されているという仮説である。(116頁)

 

量子物理学的にそのことをもう少し詳しく説明しますと、

私たちの肉体や意識の活動を含め、

この宇宙でのすべての出来事は波動エネルギーですから、

「ゼロ・ポイント・フィールド」はそうした波動エネルギーが

すべて「波動情報」として記録されている場所ということになります。(125頁)

 

このことは「ゼロ・ポイント・フィールド」に

現実世界と全く同じ世界(著者はこれを深層世界と呼ぶ)が

存在しているのみならず、「現実世界での私(現実自己)」と全く同じ

深層世界での私(深層自己)」が存在していることにもなります。(208頁)

 

そういうことですので、

 

「現実自己」が死を迎え、消え去った後も、

ゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」は、残り続ける。

 

すなわち、我々の意識は、「現実世界」の「現実自己」が死を迎えた後、

このゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に中心を移すのである。

(209頁)

 

このようにして私たちの意識は、

肉体の死後もその中心を「深層自己」に移して

生き続けていくと考えられるのであろう。

つまりこういう意味で「死は存在しない」と著者はいうのです。

 

『死は存在しない』という本の中にはこの他に、

いくつか興味深いことが述べられています。

それらを引用しておきましょう。

 

「神」や「仏」や「天」とは、

宇宙の歴史始まって以来の「すべての出来事」が記録され、

人類の歴史始まって以来の「すべての叡智」が記録されている、

この「ゼロ・ポイント・フィールド」に他ならない。(189頁)

 

『法華経』「如来寿量品」に述べられている

永遠の生命としての仏はつぎのように解釈されています。

 

永遠の命である「仏」とは、

ゼロ・ポイント・フィールドに他ならず、

それは、いたるところに存在し、

永遠に存在し続ける。

そして、このフィールドから、

無数の「個別意識」が生まれ、生き、

そして、フィールドへと戻っていく。

すなわち、この「個別意識」(私)とは、

ゼロ・ポイント・フィールドという

「宇宙意識」(仏)の現れに他ならない。(302頁)

 

なおこの連関で宮沢賢治の『春と修羅』(序)の

「わたくしといふ現象」ではじまる詩が解釈されています。(300頁)

 

さて、読者はこの仮説についてどのようにお考えになるでしょうか。

参考のために引用図書を示しておきます。

田坂広志『死は存在しない――最先端量子科学が示す新たな仮説』(光文社、2022)

 

 

 

 

 

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