大雅窟遺風(十)

 

 

<一所懸命>

論語の中で、「身を殺して、もって仁をなす」(衛霊公 九)と言われています。ですから、論語もその都度、その都度のことに、全身、全霊を打ち込んでいく(ということを強調する)。禅宗の方のことばでいうと、「なりきっていく」ということです。そうしますと、その時、その時に、仮に結果が悪いというような場合にでも、必ず一所懸命にやっていますと、またおのずと道が開けてくるんですね。一所懸命やらないと、道は開けないわけですね。(『対話禅』)

 

 

一所懸命という言葉は、戦国時代の武将たちが自分の所領(一所)を護ることに命を懸けていた(懸命)ことに由来すると言われています。後にその意味が転じて、そのように自分の置かれたその都度の場所(一所)で懸命にはたらく様を一所懸命と言うようになったようです。はたらく場所は時間とともに刻々と変化します。その一刻一刻、その場、その場に全力を尽くすことが一所懸命ということです。

「仏法に奥の手はない、ただ即今、即今になっていく」とは大雅窟の言葉です。

(『論語と禅』)

 

 

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