喫飯来(きっぱんらい)(令和5年9月9日)

 

喫飯来」(孝慈室 森本老師筆)

 

 

『碧巌録』に金牛和尚(生没不詳、唐代)が昼食時になると、

いつも米櫃をもって僧堂前にあらわれ、踊りながら呵々大笑しつつ

「菩薩のみなさんよ、喫飯来(ご飯を召し上がれ)」

と呼びかけたという話がでています。

 

今日は昼食に関係した話をしてみよう。

 

 

ある夏のこと、南禅僧堂の柴山全慶老師のもとを

馴染みの仏教学者が訪ねてきました。

しばらくすると学者はそわそわしながら言いだしました。

 

 

学者 「老師さま、12時になりました。おいとま致します」

老師 (ニコリと笑って)、「先生、何時にここに来られた?」

学者 「はい、11時半に参りました」

老師 「あんた、30分で話がすむと思ってたか」

学者 「いいえ、すまないだろうと思いました」

老師 「こいつ、豆腐を食べにきたなぁ」*南禅寺界隈は豆腐の味處で有名。

学者 「実は、さようでございます」

老師 「もう頼んであるわい」

そして、老師はおかしくて堪らぬという顔で呵々大笑されました。

 

この仏教学者もなかなかの役者ですが、柴山老師はその上を行かれた。

相手の出方を読んで、先にそれを制する禅機を

活作略(かっさりゃく)と言ったりしますが、

禅僧の見事なはたらきをここに見ることができて、

まことに愉快です。

 

話はかわりますが、以前、禅塾に祖渓さんという尼僧がおられました。

料理がたいそう上手で、私なども幾度となく御馳走にあずかったことがありました。

森本老師がまだお元気なころ、たくさんの人が老師の法話を聴くために

禅塾を訪ねてこられました。

そのようなとき、話がながくなって食事時におよぶと、

祖渓さんが気をきかせて食事を出されました。

そうこうするうちに、その料理の味をおぼえてか、

決まって食事時に合わせえて訪ねてくる人もいたようです。

それを見て、浅井老師いわく、

「あれは食事目当てに来とるんじゃ」と。

今は昔、よき時代の話です。

 

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