無心になれ
凌霄花(のうぜんか)(長岡禅塾近辺)
「凌霄花(のうぜんか)はラッパを夏の空に向け奏(かな)でるように風に揺れ居る」(中川文和)
いま大事なことは、
あらゆる時、あらゆる機会に、
日常の行住坐臥の一つ一つのうちに
ひたすら無心を学び、
ものを分別することなく、
ものに寄りかかることもなく、
ものに執着することなく、
日ねもす<のほほん>として成りゆきにまかせ、
まるで阿呆のように生きてゆくことだ。
世間の人は誰も君を知らぬ
君の方も人に知ってもらおうとか
知られたくないなどと気を使うこともない。
心はゴロリとした石みたいに、
ひび割れ目もないから、
一切のものは君の心に入りこみようがなく、
ゴロリとしたままで何にも関わりをもたぬ
・・・こうあってこそはじめて少し脈があるというものだ。
かくして三界という次元を突き抜けた者、
それが世に立ち現れた仏と言われるのだ。
(『黄檗断際禅師宛陵録』、入矢義高・訳)
*「日常の行住坐臥」=日常生活。「三界」=生き物の世界。