大雅窟遺風(十五)

 

 

<煩悩即菩提(一)>

 

息をほんとうにしている時は、息をしているということを忘れている。

かし、その時が、ほんとうに息をしているんですね。

だから、ほんとうに煩悩の中に入っている時が、

それが菩提の姿である(転迷開悟)。

ですから、誰でもがこの道に入れる。

しかし、修行をしなければ、それが自得できないんです。(『対話禅』)

 

この文章中に「ほんとうに」という言葉が三度でてくる。そこでの「ほんとうに」というのは、自分の今している事を忘れ、その事に成り切った三昧(禅定)の情態を意味する。だから「ほんとうに煩悩の中に入っている時」とは煩悩三昧になっているときのことである。

ところが、三昧(禅定)に入ることが容易ではないのである。そこで三昧に入る修行が必要となってくる。その代表的形態が坐禅であったりするのである。そのような修行を経て、三昧の生活が会得できるようになると、煩悩まみれの日常生活がそのままでよいと肯定できるようになるのである。

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