大雅窟遺風(十六)

 

 

<煩悩即菩提(二)>

 

修行はやはりやってこないといかんですわ、

十年、二十年、三十年と。

そして結局、そういうことも肉体がある限りは(貫徹)できない、

というふうになってくるわけですね。

だからこの世では救われない、となる。

それじゃ死んでしまえばいいのかというと、それでは解決にならない。

そうすると、有るがままで無くなる、

という途しかないことが分ってくるわけです。(『悟りの構造』)

 

「有るがまま」とは「煩悩のまま」ということである。「煩悩のまま」と言っても、普通の意味で言うのではない。「煩悩三昧のまま」という意味である。煩悩が三昧(禅定)の情態に入ってのことだから、ちょうど息をほんとうにしている時、息をしていることを忘れているように、煩悩、煩悩知らずで、煩悩はもはや煩悩では無くなっている。つまり菩提(悟り)に転じているのである。煩悩即菩提である。

 

 

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