生死(しょうじ)その八(令和5年10月28日)

 

コスモス(長岡禅塾近辺)

 

九十歳あの世この世で夏休み(丸山巌子)

 

讃岐の妙好人庄松が讃岐から大阪へ、

他の信者と一緒に船に乗っていた時のことです。

*妙好人とは名もなく学もないが浄土真宗への信仰がきわめて篤い人のことをいいます。

折悪しく、暴風に遭い、船は木の葉のように大揺れに揺れました。

そのとき、庄松は船底で寝ていました。

 

そこへお同行(仲間の信者)がやってきて、

「庄松、大変や、難破するかもしれん」、と大騒ぎをすると、

庄松は、「まだ、娑婆かい」、と言い放つや、

またもや寝返りを打って寝てしまいました。(「庄松言行録」)

 

なぜ庄松がそのように落ちついていることができたかというと、

阿弥陀への信(南無阿弥陀仏)によって

庄松の心のうちでは、「娑婆」と「浄土」が一続きになっていたからです。

 

瀬戸内寂聴は自らの肉体の衰えを感じはじめたころ、

94歳まで生きた作家の里見弴から

「死は無だ」「死後の世界があるわけでなく、死は、

ふすまを開けて次の部屋にゆくようなもの」と聞かされたといいます。

 

つまり生と死とは、

ふすま一枚で仕切られているような、

隣接した二部屋のようなものだというわけです。

 

里美弴のこの考え方は明らかに仏教の「空」に依拠したものですが、

浄土教では「空」を「阿弥陀仏」へと具象化して

われわれ凡夫への手がかりを供してくれています。

 

それで妙好人においてそうであるように、

浄土の教えに連なる人の生死得脱の方法は、

ひとえに「南無阿弥陀仏」に依っているのです。

 

*庄松については浅井老師の『禅が教える「接心」のすすめ』(129頁)、

『無相の風光』(110頁)を参照。

「庄松言行録」は『鈴木大拙全集』第10巻。

 

 

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