北野大雲老師
傘寿のお祝い会
令和5年11月4日(土)
長岡京市の竹茂にて、大雲老師の「雲の会」の弟子たちによる
「北野大雲老大師の傘寿(80歳)をお祝いする会」が開催されました。
「雲の会」は禅塾の運営を支える会議メンバーが中心の集まりです。
ですから、乾杯後は食事をしながら、すぐに会議になってしまいました。(汗)
今後の方向性が見いだせた後は、美味しい食事と楽しい歓談です。
老師のいろいろ示唆に富むお話にうなずくことばかり、
「年長になって、それなりの地位になった経験があると、偉そうになってだめですね。
一番やっかいなものを抱えて、禅の修行の妨げになります。
どこまでも、”実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな”とならないと・・・」。
「私なんかもね。老師をさせていただいているけれど、
どこまで行っても、まだまだ駄目だなと思うよ」。
横でお話をうかがっていた私は、自然と背筋が伸びて、
自分のことだなと思ったしだいです。
しかし、北野老師の「駄目だ」は、私たちのような相対の世界で判断して、
誰かと比較したり、倫理的道徳的見地からの「駄目だ」ではないのです。
相対の世界の「駄目だ」は、
二律背反の理性でがんじがらめになった迷いの世界です。
ところが、北野大雲老師の「駄目だ」は、
相対の世界を突破した「駄目だ」なんですね。
精しくは「大雅窟遺風(14)~(18)」を味わってみてください。
北野大雲老師が分かりやすく解説されています。
真理を求める若者よ、
ぜひ長岡禅塾で修行をしてはいかがでしょうか。