大雅窟遺風(二十)
<生死>
我々は、知らずして生まれ、知らずして死ぬのである。
生死来往があると思うのは、知性の虚妄である。
虚妄を真実と思うところに不安がある。
(『無相の風光』)
玄沙(835-908)は、その苦行する姿を見かねた雪峰から「どうして諸方に往来して道を求めないのか」と問われたとき、「達磨、東土に来たらず、二祖、西天に往かず」と答えた。
達磨は法を伝えるために、インドから見て東土にあたる中国にやってきた。そして、中国人で達磨の弟子である二祖慧可は法を求めてインド(西天)に行った。一応、このように言われている。しかし、玄沙は脱知性(禅定)の立場にたっていたので、そのことを逆転させて、「達磨も二祖も往ったり来たり(諸方遍参)はしていない、どうして私が遍参する必要があろうか」と言ったのである。
私たちは大雅窟の提唱で何度もこの「達磨、東土に来たらず、二祖、西天に往かず」の言葉を聞かされたものである。