法隆寺再訪(令和6年3月30日)
昨年の秋に法隆寺を訪れる機会があった。
秋晴れの行楽日和だったが、
その日は少し暑いくらいで、汗ばむ陽気であった。
ちょうどその頃は修学旅行のシーズンと重なり、
次から次へ修学旅行生がやってくるものだから、
静かに諸仏と対面することは残念ながらかなわなかった。
しかし境内には人気のあまりない森閑としたところもあり、
その一つは、案内してくれた人が教えてくれたのだが、
五重塔がもっとも美しく見えるビューポイントの辺り(写真)、
そこは人もまばらで松の大樹がつくる蔭が涼しかった。
法隆寺五重塔
そこには会津八一の歌碑が立っていて、石にはつぎのように刻まれていた。
ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせを
ひとひの ごとく たてる この たふ
(千三百年という長い歳月を経過して しかもそれがまるで
一日であるかのように立っている この法隆寺の塔)
八一がこの歌をどの場所で詠んだのか定かではないが、
わたしにはやはりあのビューポイント辺りだと想像された。
なぜかといえば、そこに立って五重塔を見上げると、
確かに、その塔が過去の遺物にすぎないことを拒絶して、
厳然と現在しているように見えたからである。
八一はその時、
五重塔を単に過去の遺産として仰望したのではない。
五重塔が自分と同時代に在ることを強く感じたのであろう。
そして悠久の時に自らの心を遊ばせたのである。
わたしにとって二度目となる法隆寺の拝観は、
このように新しい発見の小旅行でもあった。